加害恐怖について考える~強迫性障害~

強迫性障害の強迫観念の1つ加害恐怖

車を運転していて人を轢いてしまうのではないか(轢いてしまったのではないか)と思うような自分の不注意で他人に危害を加えてしまうことを恐れる症状。

 

私は強迫性障害でも確認行為しか症状がないのでこの加害恐怖の辛さが厳密にはわかりません。

 

確認恐怖の場合、私は最終的に自分に起こる不利益を受け入れてしまえばいいと諦めることで心が安らぐことがあります。

 

しかし加害恐怖の場合、自分だけで話は完結しない。

誰かに迷惑をかける恐れがある。

 

そうなると諦めるという方法がとれないのではないかと考えました。

 

実際は気をつけて行動しているので恐怖の対象が現実に起こることはほぼないのですが、やはり不安なものは不安。

 

私はよくこのブログで、不安を打ち消そうとしない

耐えることでその不安が消える成功体験を積んで欲しいと言っています。

 

この耐えるの部分に諦めるは補助的な役割を果たすことができるのですが、それができなかったら。

 

ただひたすら不安と戦わなくてはならないのか。

 

なんとか不安を打ち消そうとする行動をせずにそれが消えるまで放っておくことはできないだろうか。

 

そんな事を考えています。

 

現実と不安を切り離して考えることはできるだろうか。

 

不安の原因と実際に感じている不安は完全に結びついていません。

 

不安が生まれたのは確かに何かしらの現実が原因ですが、それを大きく育てて苦しんでしまっているのは自分。

 

そしてその不安を育てることが不安について考えること。

 

考えれば考えるほど悪い想像は広がります。

 

考える事をやめることを意識してみてください。

 

その異常な不安を消す方法は何かをすることではなくて

何もしないことです

 

同じ病気で苦しむ人が少しでも楽になれたらいいなと祈っています

 

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