成長のその先にあるもの

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成長分野が成熟期を迎えその成長が鈍化する

これまでの成長が著しかった分その鈍化はより鮮明になる。

 

一定の速度で成長し続けるものなどというのは存在しないからいつかは成熟を迎える

そして何かが成熟すると次の何かの成長が始まる

 

次はどんなものが成長するのか

どんな便利な世の中になっていくのか

 

人の成長に対する意欲は尽きない

 

楽しみだ

 

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心の休ませ方

気がつくと舌に歯の跡がくっきり浮かび上がるほど歯を食いしばっている

時々そんなことがあります。

 

歯を食いしばってがんばる

とはよく言いますがこれは時と場合による

そんな風に思います

 

気力体力が満ちあふれているような状態ならばどんどんがんばったらいい

 

しかし

 

気力も体力も限界なのにがんばってしまう

 

すっからかんなのにがんばってしまう。

 

ガス欠になると動けません

 

ガス欠になるまえに休んで給油しましょう

 

ガス欠になる前に意識して休む

無理矢理休む

ギリギリまで頑張らない

2/3いやなんなら1/2くらいまでエネルギーが減ったら休んでみましょう

 

休むことも練習が必要な人がいます

真面目で頑張り屋な人は特にそうです

 

上手く休めるようになるよう挑戦しましょう。

 

がんばりつづけなくていい

 

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スキーをしてたら地面に根をおろした話

 

私が生まれ育った小学校にはスキー学習というものがありました。

授業の一環としてスキー場でスキーを教えてくれるのです。

私は両親があまりアクティブではないので幼い頃からこのスキー学習くらいでしかスキーをしたことがありませんでした。

 

絶対的経験回数が少ないので当然他の子よりもヘタ。

 

しかし運動神経の優れていた私はスポーツ全般が得意で周りの認識もそうでした。

 

そう、周りは私がスキーがドヘタだとは夢にも思っていない。

いや、友達だけではありません。

教師ですらも恐らくそうだったでしょう。

 

授業の最初は基本的な転び方、スベリ方についてなのでどうにかごまかしが利きます。

妙なプライドから自分がスキーがヘタだとばれたくなかった私は内心ヒヤヒヤしながらも無事に一日を過ごしていました。

 

しかし

 

その時は突然訪れた。

 

スキー場には誰が作ったかわからないちょっとしたジャンプ台というものが必ず存在します

 

子供の好奇心はこういったものを見逃しません。

 

スキーの得意な子達が喜んでここに集まると教師も安全上その場に行くしかありません。

教師がいることでさらに生徒は集まります。

 

即席のジャンプ大会の誕生

 

何故かみんな順番に飛ぶことになる

 

先生も止めりゃいいのに何故か順番を仕切りだす。

 

「飛びたくない!!」

 

心の中で全力で叫ぶ私

しかし現実では

そんな事は言えない

妙なプライドができないなんて言わせない。

 

一人二人と近づく私の番

あっという間に訪れる私の恐怖のジャンプ

 

私は人並み以上に運動神経が優れている

やったことは無いけれど他の子ができるジャンプなんてやってみたらできるに違いない

 

意を決して飛ぶ

 

スキーのジャンプってテレビなんかで見たことありますかね?

あれね、スキーの先端が下に向かないように姿勢を保持しなくてはならないのね。

あの100mとか飛ぶ人と一緒にする訳じゃないけれど基本的には小さいジャンプも同じ

そうしないとバランスが崩れて着地できないから。

 

そんな事なんて全く知らない私

 

勢いだけで飛び出す

 

結果

 

 

完全に前のめり

 

 

前のめり過ぎて前方に一回転。

 

いや、実際は半回転

 

 

「あっ、怪我だ、これは大きめの怪我をするかもしれない」

スローモーションの世界で覚悟を決めた私はそっと目を閉じた。

 

 

次の瞬間

 

目を開けた私の視界に広がったのは大空

「あれ?大けが通り越しちゃった??」

 

焦る私

 

急いで状況を確認しようととりあえずアクションを起こす

 

体が動かない

 

力は入るのに身動きが取れない

 

なにこれ

 

そっと視線を足元に送ると

そこには

 

 

私の足を中心に後半分がすっかり地面に刺さったスキー

 

そうスキーの踵側がすっかり地面に刺さっていたのです

 

人間は膝より下が埋まると動けなくなる

これはきっと1つの関節の可動を失うことで今までの筋肉や体の動かし方では対応しきれなくなるからでしょう

 

スキーが半分埋まった私は言わば関節を1つ失った訳です。

 

動けない。

 

全く

 

周りで見ていた友達や教師は

また目立ちたがり屋な私が運動神経にものを言わせて大技を繰り出しおったww

しかも失敗しているwww

滑稽www

くらいにしか思っていなかったのでしょう

事の重大性がイマイチ伝わっていなかったので

誰も助けてくれない

 

 

動けない

 

刺さっているを通り越して地球からはえている私は動けない

そりゃそうです

地面に根を下ろしていますから

 

そこらへんの植物が自分で根っこを引っこ抜いて歩き出したら気持ち悪いでしょう?

地球のルールに反するでしょう?

 

私も地球からはえている以上動けない

 

なので今でもこうして刺さったままブログを更新している訳ですが

 

嘘です

スキーを外して見事に脱出しましたから。

 

 

教師は笑いながら

「おしかったけどこういう危ない技は前もって申告してなww」

なんて言ってました

 

平静を装いながら口から飛び出しそうな心臓を体内に押し込むのに必死だった私は「二度とスキーなんてしないからな」

そう心に誓うのでした

 

以上地面からはえながらお送りしました

 

 

 

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認知とストレス 枠組みを変える

 

ストレスを感じる原因

自分のそうだと信じるものと現実が合致しないから

例えば人に期待をする

こうあるべきだと思う

自分は当然そうあるべきだ、そうあって欲しいと思うことと現実が食い違う

本当はこうなのにとそれがストレスになる

 

自分の認知の世界の枠組みから逸脱したものがあるとそれを人はストレスと感じる

 

 

人の脳は一日で膨大な量の情報を処理しなくてはならない

自分が意識して考えている顕在意識の世界から

無意識の潜在意識の世界まで人は一日の内に膨大な量の情報を処理しなくてはならない

五感から得られる情報から思考として意識にあがってくるもの全て

この膨大な情報の内、生きることに直結しない意識の中での思考までを1つ1つ考え込んでいたらどうなるだろう

物事は全く進まない

生きることがままならなくなってしまう

だから人は自分の中に認知の枠組みを作り出し、ある程度意識しなくても物事を処理できるようにした。

 

認知の枠組みから逸脱すると

この自動処理システムのようなものは非常に便利だが、その枠組みから外れるものが存在するとストレスを感じるようになる。

自分が生きるために作ったシステムだからその外側にあるものがあるということは自分の生活を脅かす可能性があるから。

こうやって人は1つ1つの事を考え込んだり判断しなくていいようになっている。

 

ここで1つ問題がある。

認知の枠組みが世の中の大半の人と大きくずれているとどうなるか

自分はそれを問題だと思っていても他人はそれを問題だと思っていない。

 

悪意をもって自分を攻撃しているわけではなくても自分の生活を脅かされてしまうことになる。

 

これは非常に厄介で、自分はそれを嫌だと思っているのに相手はそれに全く共感できない。

共感できないから意識せずにその行動を取ってしまう。

 

自分の認知が人とずれていればずれているほどストレスを感じる事が多くなってしまう。

 

 

自分の枠組みを見直してみる

よく言われることだが、人は人を変えることはできない。

変えることができるのは自分だけだ。

 

自分が生きることに苦しさを感じるのなら自分の思考の枠組みを変える、変えることはできなくても見直してみるといいだろう。

 

自分がそうだと信じて疑わないこと

世の中の常識だと思い込んでいるもの

思い込んでいるということすら疑うことができないほど自分の中で当たり前になってしまっているもの

そういったものを見直してみる

 

幼い頃から周りの大人やテレビなどのメディアから得た情報で作られている自分の認識

自分にとってそれが世界の全てだが、それは本当に世界の全てだろうか。

 

自分がこれまで見てきたものはこの広い世界のほんの一部でしかない。

そのほんの一部でもっともらしいと思ったことが世界中のどこでも通用するだろうか。

それらが本当に物事の真理かどうかは置いておいて全く違う認知の世界が存在する可能性はないだろうか?

 

自分の当たり前を疑ってみる

 

意外と視界がひらけることもあると思う。

 

 

自分の価値観を否定して欲しいわけではない。

自分のことを間違っていたと否定してほしいわけではない。

むしろ自分には優しくしてほしい。

自分の事を守る為にこれらの考え方をお守りのように持ってみてはどうだろうか

 

人生の時間は非常に短い

思い込みにとらわれて来るしむ時間なんかより

自分の都合の良い解釈で笑顔で過ごせるくらいがちょうど良い

 

そんな風に思う

 

そんなとこ

 

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強迫性障害の確認行為を減らす

強迫性障害の確認行為

 

無意味な確認行為がやめられない

 

強迫性障害の症状です。

無意味だとわかっていても

何度確認しても

すぐにまた不安になる

不安を打ち消すために確認する

安心はすぐさま不安に変わり堂々巡り

次第に疲れ果てていくもののそれでもやめられない

ものすごく大きなストレスと不安

これが続くと心のバランスだけではなく体のバランスも崩れて体調に異常が起こります

 

何故確認行為をやめられないのか

 

・自分の中に確認のルールや手順のようなものが存在してそれらを完璧にこなさなくてはならない

・ルールが煩雑になりすぎてどこかの肯定が失敗しているのではないかと不安の種が増える

・不安なまま過ごすことができないから1つ1つ全てを解決しなくてはならないと考える

 

私にはこのような思考があります。

 

完璧にこなしたつもりでも手順が多すぎたり複雑過ぎたり

1つ1つに新たな不安の元を考えてしまったり

 

永遠に不安から解消されません。

この確認の連鎖が私にはとても辛いものでした。

 

確認の回数が減った日

 

ある日私はこう思いました

「毎回毎回この確認行為を繰り返している。なんとなく自分のルールをクリアしたと思えるタイミングでやめているけれどこれから先の人生で何十年もこれを繰り返していけるのか?」

無理です

毎回毎回疲れ果てるほどのストレス

一生続けていくことなどできるはずがない

そう思いました。

 

ではどうするか。

自分の中で確認の対象となっているものを諦めるしかない。

完璧な安心を諦める

 

目の前の1回だけなら納得いくまで確認できるかもしれません

けれど一生この繰り返しは到底無理。

 

無理なんだから諦めるしかない

 

「諦めてしまえば確認する必要なんてない。」

そう思うようになったのです。

 

そこから少しずつですが確認行為に追われる回数が減ってきました。

 

 

確認行為をやめるためには連鎖を断ち切る必要がある

 

諦めるといってもそれは容易なことではありません。

自分にとって大切だから何度も何度も確認してしまうのですから

それでもこの連鎖を断ち切らなくては自分の人生の大切な時間を強迫性障害に奪われてしまう。

 

人生にとって一番大切なのは楽しい時間を過ごすこと

それ以上に大切なものなんてないと思うと確認行為に費やしてる時間やこだわりが少しだけ手放せるようになります

 

心の持ちようや考え方は人それぞれ

何が正しいということはありません。

 

ただ、大切な人生の時間を苦しんで過ごす必要なんてありません。

 

自分の人生が終わるときに

本当に楽しい人生だった

そう思える時間を過ごすことを心がけて日々を過ごしましょう

 

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確率という名の下に存在する偏り

 

2年ほどの間、全く当たらなかったものがたかだか1ヶ月の間に2度の当選

 

確率と言う名の下の偏りは面白い

 

サンプルを多く取れば取るほど収束していくのは事実であろうが

その中には神さまの悪戯としか思えない偏りが存在する。

 

実におもしろい。

 

人間にこのメカニズムを説き明かす事ができる日は来るのだろうか

 

いや、問題はそんなことじゃない。

 

以下をご覧頂きたい

 

 

 

何故私は同じ間違いを繰り返すのだ

 

こちらの記事を確認してください

1年の目標は達成できましたか?

 

そう、ボスブラックを買っていたにもかかわらずボスブラックをもらう

私はブラックのコーヒーしか飲めない体質でもそういった戒律の宗教を信仰してもいません。

ただ残念なのです

お脳の作りが残念なのです。

 

もっと違う味を楽しめばいいのに、、、

 

 

複雑な気持ちをブラックコーヒーで流しこむのでした

 

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秘伝のタレは数ヶ月で入れ替わる

 

就職する

全く仕事のノウハウを知らないところから3年、5年、10年と

知識と経験を積み上げる

 

「1つの仕事を隅々まで理解しようと思ったら10年かかる」

私が入社したときに伝えられた言葉

 

時代の移り変わりという波を乗り越えて生き残り、ビジネスとして確立されて職業でも結果や形になるまで10年かかる。

 

そう考えてみると、何か新しい事を始めようと思ったらそこに要する時間とはどれくらいになるだろうか。

中には天才的なひらめきや運、流れに乗ってあっという間に結果を出す人もいる。

ただそんな稀な例は一体何%くらいのものだろうか。

 

「世の中はそういったごくわずかな人をエンターテイメントとして取り立てるから、人生で何かしら成功した人は才能があって自分とは全く違う生き物だ」

なんとなくそう思い込まされてはいないだろうか。

 

何かが形になるまでには時間がかかるんだ。

 

1年や2年の努力でそう簡単に大きな事は成し遂げられない

 

秘伝のタレのように

改良を重ね

毎日毎日愚直に継ぎ足し

煮詰め

それを永遠に繰り返す

 

そうすることでいつしか生まれたのが最高のタレ

 

ちなみに、注ぎ足したタレは数ヶ月で分子レベルで消えてしまう

つまりすっかり入れ替わってしまうそうな。

 

タレは入れ替わってもそこには人の気持ちがある

怨念にも似た情熱が宿ればすっかり入れ替わった何の変哲もないタレですらありがたがられるわけだ。

 

だとすれば

積み重ねた努力や経験、知識という消えて無くならないものをずっと積み重ねればそこには必ず何かが生まれる。

 

世の中に未来が見えている人はいない。

結果的に成功した人は誰よりも考え、努力している。

そのスピードが速い人は努力の濃度が濃いのだろう。

タレで言えばしょっぱい。

 

所々でタレの話を入れていたので焼き鳥が食べたくなった。

 

今日はこの辺にしておいしい焼き鳥屋さんを検索することにしよう

そんなとこ

 

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パニック発作を未然に防ぐ

 

多くのストレスにさらされている日

何か楽しみや目標に目をやることでストレスを逃がそうと思っても

ストレスが強すぎると鬱々とし、楽しみが感じられなくなる

そうすると楽しみが感じられないことや鬱々とした気分がさらにストレスとなる

 

悪循環

 

高まるストレスを上手くマネジメントしなくてはと思いつつも対策が見つからない

どんどん積もったそれは自律神経に影響を与える

 

そうして一日の終わり頃にパニック発作が起こる

 

これを防ぐには、ストレスを感じだしてからでは遅いのではないだろうか。

全くストレスのない人間なんていないだろうから、比較的少ないストレスで健康状態が良い時に予防的に楽しみを作っておくのがいいのではないだろうか。

 

鬱々とすると楽しみだったことが楽しみではなくなったりするけれど。

 

そうなるまで我慢しない。

まだ全然たいしたことはない

その段階からもう対処を始める必要があるのではないだろうか。

 

精神疾患を持っている人は真面目過ぎるくらい真面目だから自分がたいした事はないと思っていることも結構たいしたことなのだ。

 

だから

 

すぐに対処する

 

全く無理をしない

 

負荷をかけない

 

 

具合が悪くなってから対処するのではなくて

具合を悪くしない

全く

 

そうしている内に体力も精神力も回復するだろう。

 

頑張らないことも大事

 

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強迫性障害の苦しみは患っている人にしかわからない

強迫性障害

パニック障害

精神障害には様々な種類があります

 

精神障害で生活に支障を来すようになるとほとんどの人は病院に行きます

 

病院ではお薬を処方してくれるのはもちろんのこと、認知の歪みなどについて教えてくれることで精神障害に苦しむ人の根本を改善してくれようとします。

 

たくさんの人が研究し、改善を繰り返してきたものだからもちろん効果はあるでしょう。

しかし、これを使うお医者さん自身が精神疾患の苦しみを本当の意味で理解できていなかったらどうでしょう。

 

論理的には説明できるのでしょう

けれどその苦しみまではわからない

 

 

治療を受ける側もお医者さんが何故その人が苦しんでいるのか

どういう風に苦しんでいるのか

わからないこともある

 

心に置いておくと余計に苦しむ事は減るかもしれません。

 

 

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私のパニック発作とのつきあい方

呼吸はできているのに息が苦しい

動悸が激しくなる

冷や汗が出る

四肢が冷たくなる

目眩がする

 

パニック発作の症状です

 

ストレスが溜まりすぎると自律神経に悪影響を及ぼしてそれが引き金となってパニック発作を起こす

 

「なんとなく息苦しい」から始まり

どんどん酸素が回らないような気がしてくる

息苦しさは強くなり冷静さを失う

緊張状態になると動悸が激しくなり酸素の消費量は必然的にあがる

そうなると余計に苦しさが高まる

どんどん気持ちは焦り

原因不明の息苦しさに目眩を覚え

恐怖が生まれ

冷や汗がでる

手足が冷たくなる

その体の反応が心により深刻さを告げ

さらに冷静さを失う

 

このまま意識を失ってしまうのでは無いだろうか

何故こうなっているのか原因がわからないから対処ができない

苦しい

 

こんな風に思考は巡ります

 

こんな時どういう風に対処したらいいのでしょう

 

私が感じている対処法は

「何もしない」です

 

なぜなら

呼吸器や体に異常がないのであれば緊張状態が高まったことによる息苦しさはそれ以上何も起こりようがないからです。

 

「自律神経が乱れてそのまま呼吸が止まることはないでしょう

心臓が脈を打たなくなることはないでしょう」

 

そう思いながら息苦しさが立ち消えるのをじっと待つ

できれば自分をなだめながら

慌てず

恐れず

後何分くらいで落ち着くかな

なんて事を考えながら待つ

 

冷静さを取り戻せばだんだんと平気になります。

 

体をきちんと調べて異常がなかったことを前提として

発作には何もしない。

 

 

起こった発作には対処しない

 

 

日頃から過剰にストレスをためたりしないよう予防するというような対処は積極的に行い

 

後は自分の体におまかせ

 

 

これが私のパニック発作とのつきあい方です

 

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