流れの淀み

 

おはおようございます。

こちらは現地時間で朝7時40分を回ったところです。

月曜日の朝といえば地獄の底においてあるシャンプーボトルの裏側のようなテンションで過ごすことが通例となっております。

 

そんな中、あまり考えるとよりドツボにはまると意識的にぼーっとしているとふとこんな事を考えます。

 

それは

なんだったっけ。

今思い出すからちょっと待ってね。

 

そうそう

人というのは同じ時代を生きてきてもそれぞれ有する価値観には隔たりがあるのに、そこに世代の隔たりが介入したらそれはもう全く違う形になっていてもおかしくないのではないかということ。

 

例えば

私のように生きてきた中でインターネットが普及してきた世代と

物心ついた頃には当然のようにそれが存在した世代

それぞれの時代の便利さ、成長過程それら全てがもう全く異なる。

 

そんな中生きてきたそれぞれの時間は同じものになり得るだろうか。

 

重なる部分はあるかもしれない。

しかしそもそも違う物であるということを忘れてはならない。

 

基本的に生物は進化するのだから、より若い世代のほうが優れていることに疑いはないしそうであって欲しい。

 

そしてその優れた世代が産み出す流れの淀みになってはならない。

主流になることはなくてもそれを理解する柔軟さを失ってはならない。

 

流れに逆らうなら遡上する鮭くらい大胆に逆らって欲しい。

遡上した先に確たる目標をもって。

 

 

こんな事を考えている内にいつも1つの結論に結びつく

 

それは

 

結局何について考えていたんだっけ?

そんなこと。

 

 

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