社会奉仕活動の一環としてお花を植えてきました。

 

晴天の下、色鮮やかな花に触れ、そのすばらしい香りを胸一杯に吸い込むと心が洗われるようでした。

 

汗をかきながら、手をどろどろにして無心でお花を植えることもまた心の健康に一役かったと思います。

 

 

 

と、このままお花と戯れる35歳おっさん型妖精のほほえましいエピソードで終わるはずでした。

 

全ての作業を終え、手を洗って事務所に戻ろうとドアノブをつかんだその瞬間

 

しっとり

 

私より先に戻ってきた何者かが洗った手を乾かさずにドアノブを掴んだのでしょう。

ドアノブは不快な湿度を携えて私を待ち受けていました。

 

いらっ!

いらいらいらっ!

 

何故手を拭かない!

何故ジェットタオルを使わない!

触覚が鈍りすぎて自分の手が濡れているのかどうかもわからなくなったか!?

文明の力が理解できずに嘘つきがそこに手を突っ込んだら手が抜けなくなると思ったか!?

 

とても不快な気分で再度手を洗います。

ふと視線をあげた瞬間

そこに映っていたのは夜叉のような表情をした35歳雄のゴリラでした。

 

どうやら手も心も洗い足りなかったようです。

 

自分とは

自分がどういう人間か。

自分の中にイメージがありますよね。

 

一方で自分は人からどういう人間に見られているか

そのイメージもありますよね。

 

人からのイメージには自分の想像と実際にどう思われているかがあります。

 

そしてこれらのイメージは

実際に自分がどういう人間になるかに大きく影響しています。

 

ならば自分のイメージを自分のなりたい人間像に設定する。

人には自分がこういう人間だと発信する。

発信し続けることで周囲の目も自然と自分をそういう人間と認識する。

(ただしあまりに理想が高すぎると現実とかけ離れてしまい周囲はそういう人間だとは見なしてくれません。)

 

最終的になりたい自分になる。

 

 

いつか理想を達成できるかもしれません。

タイピング音がうるさい

 

いませんか?

打楽器かのようにキーボードを叩く人。

ガスガス ドスドス ボキボキ ドーン!

魂の16ビート

いや、そんなに速くないです。

 

 

私は生活音が大きい人が苦手です。

 

机の引き出しをたたきつけるように閉める人

物を置くときに放り投げるように置く人

新聞をめくる際にページが裂けるのではないかと心配になるくらい勢いよくめくる人

 

苦手です。

 

必要以上に大きい音を出されるとイラッとしてしまします。

 

これは私の中に大勢の人がいる場所では静かにする「べき」

という考え方が根付いているからです。

 

大きな音を発する人にはそういった価値観はないのでしょう。

 

どちらが正しいというのはありません。

 

ただ、相手には相手の価値観があるのでそこは認めたいと思います。

 

私が自分の信念を理解していらいらしないように考え方を柔軟にしましょう。

 

【私には不必要に大きな音をたてられることに抵抗がある。】

 

それを理解しているだけでも少し不快な気持ちを和らげることができます。

 

変わらない物にイライラするのは健康によくない。

 

とっさにイラッとする反応がでなくなるころには私はまた一つ成長していることでしょう。

 

自分の中にある「~~すべき」を見つけるとイライラする気持ちから少し遠ざかることができます。

 

探してみてください。

自分の中の「べき」