仮想通貨の時代
一時期のバブルの様な時期から
バブルがはじけ飛び
そして今また仮想通貨がニュースの話題になってくるようになりました。
Facebookが仮想通貨リブラを発表したり
LINEが仮想通貨取引所を始めたり
人間はその生活をどんどん便利にすることができる素晴らしい動物
その人間が形成する社会
古い物にいつまでも固執しては生きていけない
淘汰されてしまう
新しい物も古い物も
良い物を良いと見極めら得る目を養いましょう
数字だけでは表せないもの
サッカー日本代表がコパアメリカに登場しました
南米のNo.1を決める大会に招待国として参加しています
今日はその初戦
対するはチリ
今大会にはクラブチームに選手を送り出す義務がない大会
その為日本代表はいつもより若手のメンバーが主体となっています。
結果は
4-0
一蹴されてしまいました。
しかし
内容は数字の差ほど悪い物ではなかった
そう思っています
数字には表れないものがそこにはかならずある
未来の日本代表に期待の持てる試合だったと思います
靴の踵爆発症候群
はいどうも
時々靴の踵が爆発する私です
私は幸運にも日本という安全な国に生まれたので道を歩いていて地雷を踏むことはありません
ですからもちろん実際に爆発物を踏んで爆発するわけではありません
さらに言うと爆発すらしていません
ただ、靴の踵が爆発したかのように割れるのです
何故か
安物だから
そして
手入れが行き届いていないから
私は定期的に靴のメンテナンスなどすることが出来ない人種なので安い靴をはきつぶしてはすぐに買い換えるというスタイルで生きています
当然安い物なので質も良くない
結果
悪条件が重なると
ソールが劣化して割れる
なんだか歩きにくいなと思って踵を見ると
爆発後
気がつかない間に不発弾を踏んだんじゃないかと焦ります
きちんとした靴を買ってしっかり手入れした方がいいのかもしれない
そう思いつつも家と会社の行き帰りしか履かない靴
どうしたもんか
オシャレは足元からなのに
爆発した靴はいただけない
自分で不満を育ててしまう時
他人の事は変えることができない
変えられるのは自分の事だけ
それならば何故、人は不満を抱いたときそれを外に吐き出したがるのか
自分以外の事に不満を抱いても
自分が出来る事は自分の行動を変えるだけならば
変化を及ぼすことはできないのに
そこには
自分の考えを外に出すことで誰かがそれを変えてくれるかもしれないという希望
そして
自分の考えに同調してくれる他人を探すことで自分の考えが間違っていないと証明したい欲求があるのではないだろうか。
しかし
他の誰かが自分の不満を解消してくれるなんていう都合の良い事はそう起こらないし
自分の考えに同調してもらうことで自分の考えが間違っていないという気持ちを強化してしまうと不満は余計に高まる。
つまり
自分にとって利益は無い。
自分の考えを声に出して人に伝えるということは非常に大切だが
それは不満をぶつける事ではなくて
問題と感じていることを解決するための対話にならなくてはならない
不満によって生まれた怒りをぶつけたり
相手の人格批判が混ざってしまっては何の役にも立たない
思考より感情は本能に近いから
感情に振り回されずに冷静に事の本質を考える
ということを意識していないと
問題をより複雑化してしまうことになりかねない。
負の感情が沸き立ってしまったら
それを冷ますこと
その感情の正体をよく見ること
そんな事をしてみると見えてくる物があるかもしれない
人間の歯はどうしてはえかわる?
お久しぶりです
ふと気になった事があって考え事をしていました。
何がそんなに気になったのか
それは
なぜ人間の歯は生え替わるのだろう
ということです。
乳歯から永久歯に人生で一度だけ生え替わる
なぜだ
なぜわざわざ抜け落ちるのだろう
その理由は
顎が成長するのに対して歯は成長することができない
すると顎が大きくなるにつれて歯のサイズが合わなくなる
そこで大きくしっかりした永久歯が生えてくるのだそうです
ざっくり言うとこんな感じだと思います。
なぁ、、、、、
早すぎやしねぇか?
一生に一度のサイズ調整
早すぎやしねぇか!?
人生を80年と見積もったとして
序盤でたった1回の権利使っちゃって大丈夫なのか?
もう少しせめて20歳くらいまでとっておいたらどうだ?
20歳で歯が抜け落ちたら恥ずかしくて口開けられないかも知れないけれどそれもまたおもしろいじゃない
結局なんでそんな早い時期に歯が入れ替わるのかは調べていません。
そこはあんまり気にならなかったから
いや、納得はいかないんだけれど
知ったからと言って変えられないし
顎の成長に合わせて適切なタイミングで入れ替わっているんだとしたら
人間の頭ってあんまり大きくならないんだね
頭って成長しないんだね
私なんかは頭の外身だけじゃなくて中身まで幼少期に成長が停止してしまったけどね
こんなことを考えるなんとも無駄な時間が私の人生にはかなりある
力を向ける方向を考えるべきかもしれない
GW10連休の過ごし方
まもなくGW突入
今年はなんと10連休
そんなに一気に休みはいらないなんて声もちらほら聞こえますが
まったく同意できない!
休みなんてあるにこしたことない!
収入が出勤日数に影響されない普通のサラリーマンの長所!!
そして私は普通のサラリーマン
普通じゃないのは言動だけ!
なのでお休みはあればあるほど嬉しい
10日も連続で休んで何かやりたい事があるのか
どこかに遠出するのか
否
全くそんな予定はない
でも休みだというだけで嬉しいじゃない。
一日中本を読んでいても
だらけていても
なんなら真っ昼間っからビール飲んでいても
全く問題ないんだよ
なんなら北海道は桜まで咲いちゃうんだから
特別な事なんてしなくても10連休だというだけでもう特別なんだもん
スペシャル!
妻「今週あと5日仕事したら10連休だって」
私「え!?今週金曜日から休みだっけ!?」
妻「???」
私「あっ、5日ってことは今週は普通か」
なんていう会話が今朝繰り広げられるくらい特別
だってもう五月病始まっちゃってるんだもん私
去年の分なのか今年の先取りなのかわからないけどバグっちゃってるんだもん
みなさんは何をして過ごすのでしょう
あまり脳をゆるめすぎると私みたいになっちゃいますよ
「いや」とか「でも」を多用すると
「いや」とか「でも」なんていう言葉
何気なく使ってしまっていませんか
否定や反論をするつもりがなくてもなんとなく使ってしまっていませんか
会話においてお互いの意見が一致していても相手の反応にこの「いや」とか「でも」が沢山存在すると会話として良い印象は残りません。
人間というのは自分を認めて欲しい生き物
個人差はあれどこの欲求は非常に大きい物
相手が否定を意味する言葉を沢山使うと違和感や不快感を感じるものです。
自分を否定されているという認識が成されるから
相手が話をしてくれたらまずはしっかり聞く
相手が楽しい気持ちでいられる方がいいに決まっています
結局自分が生きやすくなる
そんなとこ
明日世界が終わるとしたら
明日世界が終わるとしたら何をするだろう
時々考えませんか?
今朝もなんとなくそんな事を考えながら通勤してきました。
昔は
最後の瞬間までやりたくてもできなかったことを思い切りやろうとか
貯金を使い切ってやろうとかそんなことを考えていました
しかしそれが年を重ねるにつれて
「そもそも明日人生が終わってしまうとわかっていたらきっと何をしていても楽しくないな」
「それならせめて今までお世話になった人に恩返しをしたり大切な人にありがとうを伝えながら時間を過ごそう」
そんな風に思うようになってきました。
今朝も結局その結論にたどり着こうとしたところで、、、
違う!!
違うぞお前!!
発想が狭い!
四畳半か!!
と頭の中で声がこだましました。
そもそも何故世界が終わるという前提を受け入れてしまっているのでしょう。
あがかんかい
そう
世界が終わらないようにあがきなさいよ
前提を覆さんかい
どんな終わりを迎えるか知らんけど
そんなものは認めない
自分と家族だけでも生き延びる方法を探す!
いや、このブログを見てくれている人も助けられたら助けるけども
とりあえずみんな自分のことは自分でなんとかしてください。
でもまあ力を合わせて難局を乗り切ろうよ
恩返しとかそんな綺麗事で誤魔化して諦めを受け入れちゃいけない
諦めていることにまずは気がつこう
世界は私が救う
何この大それた終わり方
まあいいや
それは必然
必然
~かならずそうなるに違いなく、それ以外にはありえないこと
未来が確定したものならば必然を手に入れる唯一の方法があるかもしれない
しかし未来とは不確かなもの
であるならば必然とは何か
世界の理のようなものがあってそれを辿ることか
そうではない
如何にそれが正しい方法であったとしても
自分がそれを信じ切れないのであれば
自分にとってそれは偶然
たまたまその結果に行き着いたに過ぎない
では必然とは
自分その結果が得られることを信じて疑わなくなること
1つ1つ不安を潰して
自分自身を信じ切れるようになること
その状態になって始めて必然は生まれる。
納得いくまで考え抜く
満足できるまで努力する
これ以上無いと言えるほど調べ尽くす
そうやって
自分の世界を固める
そこから生まれたものが必然
都合の良い理論や法則ではない
必然は自分の中にしか生まれない