自分で不満を育ててしまう時

他人の事は変えることができない

変えられるのは自分の事だけ

 

それならば何故、人は不満を抱いたときそれを外に吐き出したがるのか

自分以外の事に不満を抱いても

自分が出来る事は自分の行動を変えるだけならば

変化を及ぼすことはできないのに

 

そこには

自分の考えを外に出すことで誰かがそれを変えてくれるかもしれないという希望

そして

自分の考えに同調してくれる他人を探すことで自分の考えが間違っていないと証明したい欲求があるのではないだろうか。

 

しかし

他の誰かが自分の不満を解消してくれるなんていう都合の良い事はそう起こらないし

自分の考えに同調してもらうことで自分の考えが間違っていないという気持ちを強化してしまうと不満は余計に高まる。

 

つまり

 

自分にとって利益は無い。

 

 

自分の考えを声に出して人に伝えるということは非常に大切だが

それは不満をぶつける事ではなくて

問題と感じていることを解決するための対話にならなくてはならない

 

不満によって生まれた怒りをぶつけたり

相手の人格批判が混ざってしまっては何の役にも立たない

 

思考より感情は本能に近いから

感情に振り回されずに冷静に事の本質を考える

ということを意識していないと

問題をより複雑化してしまうことになりかねない。

 

負の感情が沸き立ってしまったら

それを冷ますこと

その感情の正体をよく見ること

 

そんな事をしてみると見えてくる物があるかもしれない

 

 

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人間の歯はどうしてはえかわる?

お久しぶりです

 

ふと気になった事があって考え事をしていました。

何がそんなに気になったのか

それは

 

なぜ人間の歯は生え替わるのだろう

ということです。

 

乳歯から永久歯に人生で一度だけ生え替わる

なぜだ

なぜわざわざ抜け落ちるのだろう

 

その理由は

顎が成長するのに対して歯は成長することができない

すると顎が大きくなるにつれて歯のサイズが合わなくなる

そこで大きくしっかりした永久歯が生えてくるのだそうです

ざっくり言うとこんな感じだと思います。

 

 

なぁ、、、、、

 

 

早すぎやしねぇか?

 

 

一生に一度のサイズ調整

 

早すぎやしねぇか!?

 

人生を80年と見積もったとして

 

序盤でたった1回の権利使っちゃって大丈夫なのか?

 

もう少しせめて20歳くらいまでとっておいたらどうだ?

20歳で歯が抜け落ちたら恥ずかしくて口開けられないかも知れないけれどそれもまたおもしろいじゃない

 

結局なんでそんな早い時期に歯が入れ替わるのかは調べていません。

そこはあんまり気にならなかったから

いや、納得はいかないんだけれど

知ったからと言って変えられないし

 

顎の成長に合わせて適切なタイミングで入れ替わっているんだとしたら

人間の頭ってあんまり大きくならないんだね

頭って成長しないんだね

 

私なんかは頭の外身だけじゃなくて中身まで幼少期に成長が停止してしまったけどね

 

こんなことを考えるなんとも無駄な時間が私の人生にはかなりある

力を向ける方向を考えるべきかもしれない

 

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GW10連休の過ごし方

まもなくGW突入

今年はなんと10連休

 

そんなに一気に休みはいらないなんて声もちらほら聞こえますが

 

まったく同意できない!

 

休みなんてあるにこしたことない!

 

収入が出勤日数に影響されない普通のサラリーマンの長所!!

そして私は普通のサラリーマン

 

普通じゃないのは言動だけ!

なのでお休みはあればあるほど嬉しい

 

 

10日も連続で休んで何かやりたい事があるのか

どこかに遠出するのか

 

 

全くそんな予定はない

 

でも休みだというだけで嬉しいじゃない。

一日中本を読んでいても

だらけていても

なんなら真っ昼間っからビール飲んでいても

全く問題ないんだよ

 

なんなら北海道は桜まで咲いちゃうんだから

 

特別な事なんてしなくても10連休だというだけでもう特別なんだもん

スペシャル!

 

妻「今週あと5日仕事したら10連休だって」

私「え!?今週金曜日から休みだっけ!?」

妻「???」

私「あっ、5日ってことは今週は普通か」

 

なんていう会話が今朝繰り広げられるくらい特別

だってもう五月病始まっちゃってるんだもん私

 

去年の分なのか今年の先取りなのかわからないけどバグっちゃってるんだもん

 

みなさんは何をして過ごすのでしょう

あまり脳をゆるめすぎると私みたいになっちゃいますよ

 

 

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「いや」とか「でも」を多用すると

「いや」とか「でも」なんていう言葉
何気なく使ってしまっていませんか


否定や反論をするつもりがなくてもなんとなく使ってしまっていませんか

 

会話においてお互いの意見が一致していても相手の反応にこの「いや」とか「でも」が沢山存在すると会話として良い印象は残りません。

 

人間というのは自分を認めて欲しい生き物

個人差はあれどこの欲求は非常に大きい物

自分では意識していなくても

相手が否定を意味する言葉を沢山使うと違和感や不快感を感じるものです。

 

自分を否定されているという認識が成されるから

 

相手が話をしてくれたらまずはしっかり聞く

そして不要な否定や反論はしない
それだけで相手はぐっと話しやすくなる
きちんと話を聞いてくれる安心感が生まれる
どうせ人と関わるなら

相手が楽しい気持ちでいられる方がいいに決まっています

日頃の何気ないところに優しさを置いておく癖をつけると

結局自分が生きやすくなる

 

 

そんなとこ

 
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明日世界が終わるとしたら

明日世界が終わるとしたら何をするだろう

時々考えませんか?

 

今朝もなんとなくそんな事を考えながら通勤してきました。

 

昔は

最後の瞬間までやりたくてもできなかったことを思い切りやろうとか

貯金を使い切ってやろうとかそんなことを考えていました

 

しかしそれが年を重ねるにつれて

「そもそも明日人生が終わってしまうとわかっていたらきっと何をしていても楽しくないな」

「それならせめて今までお世話になった人に恩返しをしたり大切な人にありがとうを伝えながら時間を過ごそう」

そんな風に思うようになってきました。

 

今朝も結局その結論にたどり着こうとしたところで、、、

 

 

違う!!

違うぞお前!!

発想が狭い!

四畳半か!!

 

と頭の中で声がこだましました。

 

そもそも何故世界が終わるという前提を受け入れてしまっているのでしょう。

 

あがかんかい

 

そう

世界が終わらないようにあがきなさいよ

 

前提を覆さんかい

 

どんな終わりを迎えるか知らんけど

そんなものは認めない

 

自分と家族だけでも生き延びる方法を探す!

 

いや、このブログを見てくれている人も助けられたら助けるけども

とりあえずみんな自分のことは自分でなんとかしてください。

 

でもまあ力を合わせて難局を乗り切ろうよ

 

恩返しとかそんな綺麗事で誤魔化して諦めを受け入れちゃいけない

諦めていることにまずは気がつこう

 

世界は私が救う

 

何この大それた終わり方

まあいいや

 

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それは必然

必然

~かならずそうなるに違いなく、それ以外にはありえないこと

 

未来が確定したものならば必然を手に入れる唯一の方法があるかもしれない

 

しかし未来とは不確かなもの

であるならば必然とは何か

 

世界の理のようなものがあってそれを辿ることか

 

そうではない

 

如何にそれが正しい方法であったとしても

自分がそれを信じ切れないのであれば

自分にとってそれは偶然

 

たまたまその結果に行き着いたに過ぎない

 

では必然とは

 

自分その結果が得られることを信じて疑わなくなること

1つ1つ不安を潰して

自分自身を信じ切れるようになること

 

その状態になって始めて必然は生まれる。

 

 

 

納得いくまで考え抜く

満足できるまで努力する

これ以上無いと言えるほど調べ尽くす

 

そうやって

 

自分の世界を固める

 

そこから生まれたものが必然

 

 

都合の良い理論や法則ではない

 

必然は自分の中にしか生まれない

 

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失敗を結果と捉えるか過程と捉えるか

 

失敗

何かに挑戦したら失敗はつきもの

目指す結果がいつも予定通り手に入れられればそれに越したことはないが

それは挑戦とは言わないのかもしれない

 

失敗は希望とは違う結果が得られるのだからイメージとしてはマイナス

 

しかしそれは失敗を結果として捉えるから

結果として捉えてしまうと挑戦はそこで終わりをつげる

得られる物は少ない

 

ではこの失敗を過程として捉えたらどうだろうか

最終的にたどり着く成功への道筋

どんな道筋を辿るかはわからない

ものすごく遠回りをすることになるかもしれない

 

しかし

失敗を

100回

1000回

10000回と繰り返せば必ずいつかは一定の成功にたどり着く

 

1つ1つの失敗は

上手くいかない方法を1つ学んだだけ

上手くいかない方法を限りなく潰していけば

どこかで必ず成功にぶちあたる

 

そう考えれば失敗は好ましい

 

好ましくないのは

変化をすることを諦めてしまうこと

 

何もしないこと

 

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大きな力に誤った思考の方向を与えてはいけない

 

感情が沸き立った時すぐに考えてはいけない

感情というのは起こった時から徐々に減衰していくものだから沸き立った時が基本的には一番エネルギーが大きい

 

そんな時に思考の方向性を与えるとそれが間違っていても大きなエネルギーに押されて方向を修正できなくなる。

なので

感情が沸き立った時に思考の方向性を決めてしまう間違いやすいし修正も難しい

 

急いで判断する必要が無いときは

まず感情の波が小さくなっていくのを確認する

そして冷静になる

 

その後ゆっくり考えた方が物事はスムーズに進む

 

イラッとしたときや

動揺したときは

その原因にフォーカスするのではなくて

まずは自分の心の動きを見るようにする

 

そうすると感情任せに間違った反応をする回数が減る

 

冷静さは大切だ

 

 

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勝たなくて良い

勝たなくて良い

楽をして良い

真面目に頑張らなくて良い

必死にならなくて良い

 

これらの言葉を聞いたときにそれに抵抗を感じる

そうすることがなんだか恐ろしい

 

そんな風に思った人!!

 

がんばり過ぎです

 

がむしゃらに頑張った先にあるものが自分の目標ではなくて

人からの評価だとしたら

そんな物は本当に大切な物かと自分に聞いてみてください

 

本当に必要な物を手に入れる以外

 

人の評価なんて不確かな物の為に

精神をすり減らして

辛い思いをする必要なんてない

 

張り詰めている緊張の糸を

緩めてあげてください

 

糸が切れてしまう前に

 

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VARは恐ろしい

VARは恐ろしい

 

VARそう、(Video Assistant Referee)のことです。

 

今朝DAZNで欧州CL

パリSG対マンチェスターUを見ましたか。

 

後半ロスタイム

このまま行けばパリSGが勝ち抜けの場面

 

マンチェスターUの選手の放ったシュートがパリSGの選手に当ってゴールラインを割りました

このCKがマンチェスターUにとっては最後のチャンスかな?なんて思ってドキドキして見ていると

主審が何やら怪しい動き

 

そう

ここで登場

VAR

 

シュートがあったた場所が手なのではないかということです

結果

パリSGの選手のハンド

PK

 

このPKが決まると逆転でマンチェスターUの勝ち上がり

思わず声を上げてしまいました。

 

完全に勝敗が左右される判定

これはいかがなものかと思いつつも

映像という動かぬ証拠がある

 

証拠がある以上

見逃す訳にもいかない

 

最後は人間の判断

 

そう。

どんなに便利な時代になっても

 

最後の鍵は人間

 

ただ

 

VARは恐ろしい

偶然のハンドが確実にハンドになる

 

恐ろしい

 

そんな風に思いながら今日の仕事を始めるところ

 

私の背後にもVARがなくて本当に良かった。

 

監視されたら仕事どころじゃないからね

 

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