強迫性障害の確認行為を減らす

強迫性障害の確認行為

 

無意味な確認行為がやめられない

 

強迫性障害の症状です。

無意味だとわかっていても

何度確認しても

すぐにまた不安になる

不安を打ち消すために確認する

安心はすぐさま不安に変わり堂々巡り

次第に疲れ果てていくもののそれでもやめられない

ものすごく大きなストレスと不安

これが続くと心のバランスだけではなく体のバランスも崩れて体調に異常が起こります

 

何故確認行為をやめられないのか

 

・自分の中に確認のルールや手順のようなものが存在してそれらを完璧にこなさなくてはならない

・ルールが煩雑になりすぎてどこかの肯定が失敗しているのではないかと不安の種が増える

・不安なまま過ごすことができないから1つ1つ全てを解決しなくてはならないと考える

 

私にはこのような思考があります。

 

完璧にこなしたつもりでも手順が多すぎたり複雑過ぎたり

1つ1つに新たな不安の元を考えてしまったり

 

永遠に不安から解消されません。

この確認の連鎖が私にはとても辛いものでした。

 

確認の回数が減った日

 

ある日私はこう思いました

「毎回毎回この確認行為を繰り返している。なんとなく自分のルールをクリアしたと思えるタイミングでやめているけれどこれから先の人生で何十年もこれを繰り返していけるのか?」

無理です

毎回毎回疲れ果てるほどのストレス

一生続けていくことなどできるはずがない

そう思いました。

 

ではどうするか。

自分の中で確認の対象となっているものを諦めるしかない。

完璧な安心を諦める

 

目の前の1回だけなら納得いくまで確認できるかもしれません

けれど一生この繰り返しは到底無理。

 

無理なんだから諦めるしかない

 

「諦めてしまえば確認する必要なんてない。」

そう思うようになったのです。

 

そこから少しずつですが確認行為に追われる回数が減ってきました。

 

 

確認行為をやめるためには連鎖を断ち切る必要がある

 

諦めるといってもそれは容易なことではありません。

自分にとって大切だから何度も何度も確認してしまうのですから

それでもこの連鎖を断ち切らなくては自分の人生の大切な時間を強迫性障害に奪われてしまう。

 

人生にとって一番大切なのは楽しい時間を過ごすこと

それ以上に大切なものなんてないと思うと確認行為に費やしてる時間やこだわりが少しだけ手放せるようになります

 

心の持ちようや考え方は人それぞれ

何が正しいということはありません。

 

ただ、大切な人生の時間を苦しんで過ごす必要なんてありません。

 

自分の人生が終わるときに

本当に楽しい人生だった

そう思える時間を過ごすことを心がけて日々を過ごしましょう

 

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確率という名の下に存在する偏り

 

2年ほどの間、全く当たらなかったものがたかだか1ヶ月の間に2度の当選

 

確率と言う名の下の偏りは面白い

 

サンプルを多く取れば取るほど収束していくのは事実であろうが

その中には神さまの悪戯としか思えない偏りが存在する。

 

実におもしろい。

 

人間にこのメカニズムを説き明かす事ができる日は来るのだろうか

 

いや、問題はそんなことじゃない。

 

以下をご覧頂きたい

 

 

 

何故私は同じ間違いを繰り返すのだ

 

こちらの記事を確認してください

1年の目標は達成できましたか?

 

そう、ボスブラックを買っていたにもかかわらずボスブラックをもらう

私はブラックのコーヒーしか飲めない体質でもそういった戒律の宗教を信仰してもいません。

ただ残念なのです

お脳の作りが残念なのです。

 

もっと違う味を楽しめばいいのに、、、

 

 

複雑な気持ちをブラックコーヒーで流しこむのでした

 

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