認知とストレス 枠組みを変える

 

ストレスを感じる原因

自分のそうだと信じるものと現実が合致しないから

例えば人に期待をする

こうあるべきだと思う

自分は当然そうあるべきだ、そうあって欲しいと思うことと現実が食い違う

本当はこうなのにとそれがストレスになる

 

自分の認知の世界の枠組みから逸脱したものがあるとそれを人はストレスと感じる

 

 

人の脳は一日で膨大な量の情報を処理しなくてはならない

自分が意識して考えている顕在意識の世界から

無意識の潜在意識の世界まで人は一日の内に膨大な量の情報を処理しなくてはならない

五感から得られる情報から思考として意識にあがってくるもの全て

この膨大な情報の内、生きることに直結しない意識の中での思考までを1つ1つ考え込んでいたらどうなるだろう

物事は全く進まない

生きることがままならなくなってしまう

だから人は自分の中に認知の枠組みを作り出し、ある程度意識しなくても物事を処理できるようにした。

 

認知の枠組みから逸脱すると

この自動処理システムのようなものは非常に便利だが、その枠組みから外れるものが存在するとストレスを感じるようになる。

自分が生きるために作ったシステムだからその外側にあるものがあるということは自分の生活を脅かす可能性があるから。

こうやって人は1つ1つの事を考え込んだり判断しなくていいようになっている。

 

ここで1つ問題がある。

認知の枠組みが世の中の大半の人と大きくずれているとどうなるか

自分はそれを問題だと思っていても他人はそれを問題だと思っていない。

 

悪意をもって自分を攻撃しているわけではなくても自分の生活を脅かされてしまうことになる。

 

これは非常に厄介で、自分はそれを嫌だと思っているのに相手はそれに全く共感できない。

共感できないから意識せずにその行動を取ってしまう。

 

自分の認知が人とずれていればずれているほどストレスを感じる事が多くなってしまう。

 

 

自分の枠組みを見直してみる

よく言われることだが、人は人を変えることはできない。

変えることができるのは自分だけだ。

 

自分が生きることに苦しさを感じるのなら自分の思考の枠組みを変える、変えることはできなくても見直してみるといいだろう。

 

自分がそうだと信じて疑わないこと

世の中の常識だと思い込んでいるもの

思い込んでいるということすら疑うことができないほど自分の中で当たり前になってしまっているもの

そういったものを見直してみる

 

幼い頃から周りの大人やテレビなどのメディアから得た情報で作られている自分の認識

自分にとってそれが世界の全てだが、それは本当に世界の全てだろうか。

 

自分がこれまで見てきたものはこの広い世界のほんの一部でしかない。

そのほんの一部でもっともらしいと思ったことが世界中のどこでも通用するだろうか。

それらが本当に物事の真理かどうかは置いておいて全く違う認知の世界が存在する可能性はないだろうか?

 

自分の当たり前を疑ってみる

 

意外と視界がひらけることもあると思う。

 

 

自分の価値観を否定して欲しいわけではない。

自分のことを間違っていたと否定してほしいわけではない。

むしろ自分には優しくしてほしい。

自分の事を守る為にこれらの考え方をお守りのように持ってみてはどうだろうか

 

人生の時間は非常に短い

思い込みにとらわれて来るしむ時間なんかより

自分の都合の良い解釈で笑顔で過ごせるくらいがちょうど良い

 

そんな風に思う

 

そんなとこ

 

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