千里の道も一歩から

千里の道も一歩から

何かを成し遂げるためには

コツコツと積み上げていくしかない

その1つ1つが小さすぎて

先に進んでいるのか不安になったり

先が見えなさすぎて

今の努力の意味が感じられなくなったり

 

それでも

諦めてしまえばそこで終わり

諦めない限り

挑み続ける限り

失敗でない

そこにあるのは

道の途中か

その先にあるゴールだけ

 

続ける事の大切さ

 

 

スポンサーリンク

2021年2月2日節分。節分は2月3日じゃないのか

今日は節分

え?節分って2月3日じゃないの?

なんて思いませんでしたか

今年の節分は2月2日なんです

 

それではどうして今年の節分は2月3日ではないのか

 

節分というのはそもそも四季を分ける節目

立春の前日が節分

そしてこの立春というのは太陽の位置関係で決まる

 

地球が太陽の周りを1周するのが365日丁度ではないから(実際は6時間程長い)毎年少しずつ位置関係がずれてくる

そうして今年の節分は124年ぶりに2月2日となったわけ

 

毎年6時間弱ずれるなら節分はどんどん前倒しになるんじゃない?なんて思いましたか

それを調整するのが閏年ってやつなんです

4年で24時間ほどずれるので2月29日を作ってそのズレを解消する

(1年のズレ6時間×4年=24時間)

 

ただしこれも1年のズレは6時間より少し短いので4年に1回閏年を設定すると増やしすぎてしまうので閏年は400年で3回減らします

 

こうやって見事に調整されているんですね

 

 

はいそんなわけで今日は節分

 

捲きましょう

豆を

払いましょう

悪い物を

 

世界は今悪い物だらけなので必要以上に豆を捲きましょう

家族で楽しく豆を捲きましょう

 

 

はやく平和が訪れますように

 

 

スポンサーリンク

 

 

 

 

 

数年に一度の嵐

今日1月29日から明日30日にかけて数年に一度の冬の嵐がやってくる

天気予報がそう伝えていました

 

数年に一度

確かに数年に一度この言葉を聞く気がするので正しいのでしょう

 

数年に一度

頻度として珍しいのはわかります

 

ただ規模を表す言葉としてはどうなのでしょうか

嵐の大きさをカテゴリー分けしたとして

その分割のサイズの取り方によってはどの規模も数年に一度起こる嵐なのではないだろうか

 

そんなくだらない事を考えていたら

遅刻しかけました。

 

数年に一度の遅刻です

 

えぇ

 

何にせよ

天気が荒れるようなので気をつけて生活しましょう

 

 

スポンサーリンク

寝る子は

寒さのせいか

はたまた日照時間の短さのせいか

 

理由はよくわかりませんが

最近非常にたくさん寝ます

寝ても寝ても眠い

 

寝る子は育つといいますが

今更肉体的に成長する歳でもない

 

代わりと行ってはなんですが

変な夢をよく見ます

 

顕在意識には上ってもこないような昔の記憶が蘇ってきます

中には「どこからそんな記憶をほじくってきた!?」

みたいな懐かしいものもあります

 

長時間睡眠に体が耐えられなくて

中途半端に覚醒しているのでしょうか

 

なんにせよ

その昔の記憶の掘り起こしが

目覚めた私を懐かしい気分にしてくれてこれが意外と心地よい

 

そしてまたその心地よさを求めて再度夢の世界に降りていくのでした

 

 

スポンサーリンク

人生で最も近づいた瞬間

昨夜のこと

仕事からの帰り道

大きな交差点を渡っていた私

中央分離帯を越えて渡りきるまであと半分

その瞬間

左から明らかに加速してくるエンジン音

嫌な気配を察知した私は慌てて立ち止まり左に視線をやる

視界に入ったのはRV車

それも目の前

 

右折してきたRV車が加速して突っ込んできていたのです

私が瞬時に立ち止まったことで接触は避けられましたが

本当にすれすれでした

 

暗くなって視界が悪くなっていたのもあったのでしょうがだからこそ注意して運転しなくてはなりません

しかもその運転手はブレーキを踏むわけでもなく

更に加速して走り去っていきました

 

まるで私などそこには存在しなかったのように

 

恐ろしい、、、

 

 

幼い頃徐行していたタクシーに自らぶつかっていったことを除けば

人生で一番走っている車に接近した瞬間でした

 

加速音でおかしいと気がつけてよかった

 

そのまま歩いていたら絶対に轢かれていた

 

 

運転する側はもちろん

歩行者も自らの身を守るために

常に気をつけて生活しましょう

 

 

 

スポンサーリンク

 

予測と反応

 

反応

それは生体が刺激を受けて変化や活動を起こすこと

 

大脳が判断して起こす行動で反射とは違います

(反射は熱い物を触ったときにとっさに手を引くような考えずに起こる行動です)

 

考えて起こす行動というのは過去の経験が大きく関係しています

これまでの失敗や成功から最適だと思われる行動をとるのが生物だからです

 

ただ、全ての反応を刺激が起こってから考えていたのでは自らの生命を守るのに弊害があります

そこで私たちはある程度起こり得ることを予測して生きています

 

深く考えてはいなくても五感から入ってくる情報からある程度何が起こるか予測しているのです

何かが起こった時、それを予測しているからスムーズに反応することができるのです

 

では、この予測が働かなかったらどうなるでしょうか

1つの例をあげてみましょう

 

先日のこと

出社中の私の前に見ず知らずの人が立ち止まりました

私はその人の風体からこれから起こり得ることを予測しはじめています

この時点で得られている情報は

・立ち止まった人が身なりのしっかりした目上の男性

・私は彼のことを知らない。つまり見ず知らずの人

 

「え、何、、誰、、、」

私の大脳大混乱

コロナウイルスの影響でマスクをしているので顔を完全に確認することはできませんがさすがに全く見ず知らずの人を知らない人だと把握することはできます

その上で私の脳はこの人を知らないと導き出しています

 

脳内のデータベースに参考になる事象が存在しないと人は戸惑う

 

ただ、立ち止まられただけならば何か反応をしなければいけないということもない

偶然そこに立ち止まっただけなのかもしれない

ここは様子を見よう

考えがまとまったので私は注意深く彼を見るという反応をとります

 

その数秒後

 

この御仁は手を指先まで綺麗に伸ばして太ももの横に添え

とてもきれいなお辞儀をなさりました

 

「お辞儀ーーーー!!!!!」

大脳大混乱

 

見ず知らずの人がわざわざ立ち止まってお手本の様なお辞儀

 

ない!

そんな事例は私の脳には蓄えられていない!!

 

予測が立たない!!

 

私のとった行動は

 

固まる

 

お辞儀を返すでもなく

声を出すわけでもなく

 

ただ固まる

 

 

何も出来ない

瞬時にお辞儀を返すなんていうのは予測の成せるわざ

 

全く予測がつかない事態に遭遇すると人は

固まる

 

 

よかった

これが命に関わる事態でなくてよかった

もしそうであったなら

固まるなんていう選択肢は

最悪の一手だと言っても過言ではないでしょう

本当によかった

 

 

こうして人は日々経験を蓄積し

次なる事態の予測を立てられるようになっていくのでした

 

 

ちなみに

 

次、全くの他人にお辞儀されたらどうするかというと

 

 

 

 

 

固まる

 

 

と思います

 

だって他に何もしようがないから

 

 

 

 

スポンサーリンク

 

 

 

 

過度な不安

不安

心配に思ったり恐怖を感じたりすること

 

人は生きている限り不安を完全に無くすことはできません

不安は生命を守るために必要なものだから

しかしこれが行きすぎると日常に悪影響を及ぼすことになります

 

無くそうと努力すれば努力するほど不安は大きくなるし

何か1つが解決してもまたすぐ次の不安が見つかります

そうしている内に心の中は不安で占められ

やがて身体症状や精神症状が現れるようになります

 

健康を損ねるような不安には対処したいけれど前述のとおり不安はなくならない

なくならないなら上手く付き合うしかない

 

自分の感じている不安が本当に必要なものか

予期不安ではないのか

そんなふうに考えてみる癖をつけたり

 

その不安が生じる理由を考える

何を恐れているのか

そしてどう対処したら自分が求める物が守られるのか

考えてみる

漠然とした不安がどこに結びついているのか

自分がどんな結果を求めているのか

 

それが見えたら不安に耐えてじっとしているのではなく

行動を起こす

すぐには上手くいかないかもしれないけれど

改善を繰り返せばきっと上手くいく

何かに夢中になっていれば

過度に不安にとりつかれる時間も減る

 

不安とのつきあい方が崩れてしまった時は

一度そのつきあい方を見直してみよう

 

 

 

 

 

 

人の足を引っ張ることが楽しそうな人

他人に迷惑をかけることを喜ぶ人っていませんか?

自らになんの利益もないのに人の足をひっぱることに喜びを感じているような人

何故「ような人」と表現したかというと

その喜びが理解できないから

本当に喜びを感じる人がいたとして全く理解できない

倫理観とかそのようなものを排除したとしても

全く共感できない

よって何故そんな事をするのか考えてもわからない

 

他人が努力しているのを邪魔して憤っていたり悔しそうな表情を見せるのが

楽しいのだろうか

少しでも他人の成長を妨げることで安心感でも得られるのだろうか

 

考えてみてもわかるはずが無い

そもそもそのような価値観を持ち合わせていないから

 

どなたか教えてください

 

やっぱり結構です

 

興味なかった

 

そういった人とは関わらない

相手をしない

戦わない

 

敵を作らないことが最大の防御策

 

なんて思っても

イライラするときはイライラするよね

 

イライラとも向き合わない

 

 

新年

新年が始まって6日経ちますが皆さんいかがおすごしでしょうか

 

今年はいつもとは違いコロナウイルスのせいであまりお正月気分を味わえなかった

そんな人も多いのではないでしょうか

そして私もその1人です

 

毎年特別変わったことはしませんが

今年は心の盛り上がりにも欠けた気がします

 

世界ではコロナウイルスに対するワクチンの接種も開始されたものの

日本国内を見てみると

感染者数は増加の一途

首都圏は緊急事態宣言が成される

そんな状況

 

全く先の見通せない状況ではなくなってきたものの

全く油断出来る状況ではなく

事態が落ち着くまでどれくらいかかるかは未だわかりません

 

今はたくさんの我慢を重ね

日常が戻ってくるのを待ちましょう

 

自らが感染することは

ウイルスの繁殖を招くことになる

自分の身はもちろん

全ての人を守りましょう

 

2021年は

人類がコロナウイルスに打ち勝った年になりますように

 

スポンサーリンク

 

バカマツタケ(Tricholoma bakamatsutake)ってなに

ご存じですか

バカマツタケ(Tricholoma bakamatsutake)

 

学名がバカマツタケ

 

何故バカ扱いか

・松茸と違って松林ではなく雑木林にはえること

・松茸よりも発生時期が早い

こういった理由

 

ちょっと待て

 

そもそもバカマツタケさん

松茸じゃないんだろ?

酷似していても別物なんだろ?

 

勝手に見間違えた挙げ句

 

生える場所が違うとか

生える時期が違うとか

なんて勝手なことでしょう

 

バカマツタケさんとしては

普通に生まれて

普通に存在しているだけなのに

 

勝手にバカ扱い

 

「あはは、生える場所間違っちゃった~~」

とか

「えっ!?みんなまだ生えてきてない??2月後!?」

なんて言っていないんですよ

 

それなのに、、、、

 

 

 

 

バカニンゲンとしては同情を禁じ得ない

 

スポンサーリンク