「いや」とか「でも」を多用すると

「いや」とか「でも」なんていう言葉
何気なく使ってしまっていませんか


否定や反論をするつもりがなくてもなんとなく使ってしまっていませんか

 

会話においてお互いの意見が一致していても相手の反応にこの「いや」とか「でも」が沢山存在すると会話として良い印象は残りません。

 

人間というのは自分を認めて欲しい生き物

個人差はあれどこの欲求は非常に大きい物

自分では意識していなくても

相手が否定を意味する言葉を沢山使うと違和感や不快感を感じるものです。

 

自分を否定されているという認識が成されるから

 

相手が話をしてくれたらまずはしっかり聞く

そして不要な否定や反論はしない
それだけで相手はぐっと話しやすくなる
きちんと話を聞いてくれる安心感が生まれる
どうせ人と関わるなら

相手が楽しい気持ちでいられる方がいいに決まっています

日頃の何気ないところに優しさを置いておく癖をつけると

結局自分が生きやすくなる

 

 

そんなとこ

 
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明日世界が終わるとしたら

明日世界が終わるとしたら何をするだろう

時々考えませんか?

 

今朝もなんとなくそんな事を考えながら通勤してきました。

 

昔は

最後の瞬間までやりたくてもできなかったことを思い切りやろうとか

貯金を使い切ってやろうとかそんなことを考えていました

 

しかしそれが年を重ねるにつれて

「そもそも明日人生が終わってしまうとわかっていたらきっと何をしていても楽しくないな」

「それならせめて今までお世話になった人に恩返しをしたり大切な人にありがとうを伝えながら時間を過ごそう」

そんな風に思うようになってきました。

 

今朝も結局その結論にたどり着こうとしたところで、、、

 

 

違う!!

違うぞお前!!

発想が狭い!

四畳半か!!

 

と頭の中で声がこだましました。

 

そもそも何故世界が終わるという前提を受け入れてしまっているのでしょう。

 

あがかんかい

 

そう

世界が終わらないようにあがきなさいよ

 

前提を覆さんかい

 

どんな終わりを迎えるか知らんけど

そんなものは認めない

 

自分と家族だけでも生き延びる方法を探す!

 

いや、このブログを見てくれている人も助けられたら助けるけども

とりあえずみんな自分のことは自分でなんとかしてください。

 

でもまあ力を合わせて難局を乗り切ろうよ

 

恩返しとかそんな綺麗事で誤魔化して諦めを受け入れちゃいけない

諦めていることにまずは気がつこう

 

世界は私が救う

 

何この大それた終わり方

まあいいや

 

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それは必然

必然

~かならずそうなるに違いなく、それ以外にはありえないこと

 

未来が確定したものならば必然を手に入れる唯一の方法があるかもしれない

 

しかし未来とは不確かなもの

であるならば必然とは何か

 

世界の理のようなものがあってそれを辿ることか

 

そうではない

 

如何にそれが正しい方法であったとしても

自分がそれを信じ切れないのであれば

自分にとってそれは偶然

 

たまたまその結果に行き着いたに過ぎない

 

では必然とは

 

自分その結果が得られることを信じて疑わなくなること

1つ1つ不安を潰して

自分自身を信じ切れるようになること

 

その状態になって始めて必然は生まれる。

 

 

 

納得いくまで考え抜く

満足できるまで努力する

これ以上無いと言えるほど調べ尽くす

 

そうやって

 

自分の世界を固める

 

そこから生まれたものが必然

 

 

都合の良い理論や法則ではない

 

必然は自分の中にしか生まれない

 

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失敗を結果と捉えるか過程と捉えるか

 

失敗

何かに挑戦したら失敗はつきもの

目指す結果がいつも予定通り手に入れられればそれに越したことはないが

それは挑戦とは言わないのかもしれない

 

失敗は希望とは違う結果が得られるのだからイメージとしてはマイナス

 

しかしそれは失敗を結果として捉えるから

結果として捉えてしまうと挑戦はそこで終わりをつげる

得られる物は少ない

 

ではこの失敗を過程として捉えたらどうだろうか

最終的にたどり着く成功への道筋

どんな道筋を辿るかはわからない

ものすごく遠回りをすることになるかもしれない

 

しかし

失敗を

100回

1000回

10000回と繰り返せば必ずいつかは一定の成功にたどり着く

 

1つ1つの失敗は

上手くいかない方法を1つ学んだだけ

上手くいかない方法を限りなく潰していけば

どこかで必ず成功にぶちあたる

 

そう考えれば失敗は好ましい

 

好ましくないのは

変化をすることを諦めてしまうこと

 

何もしないこと

 

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大きな力に誤った思考の方向を与えてはいけない

 

感情が沸き立った時すぐに考えてはいけない

感情というのは起こった時から徐々に減衰していくものだから沸き立った時が基本的には一番エネルギーが大きい

 

そんな時に思考の方向性を与えるとそれが間違っていても大きなエネルギーに押されて方向を修正できなくなる。

なので

感情が沸き立った時に思考の方向性を決めてしまう間違いやすいし修正も難しい

 

急いで判断する必要が無いときは

まず感情の波が小さくなっていくのを確認する

そして冷静になる

 

その後ゆっくり考えた方が物事はスムーズに進む

 

イラッとしたときや

動揺したときは

その原因にフォーカスするのではなくて

まずは自分の心の動きを見るようにする

 

そうすると感情任せに間違った反応をする回数が減る

 

冷静さは大切だ

 

 

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勝たなくて良い

勝たなくて良い

楽をして良い

真面目に頑張らなくて良い

必死にならなくて良い

 

これらの言葉を聞いたときにそれに抵抗を感じる

そうすることがなんだか恐ろしい

 

そんな風に思った人!!

 

がんばり過ぎです

 

がむしゃらに頑張った先にあるものが自分の目標ではなくて

人からの評価だとしたら

そんな物は本当に大切な物かと自分に聞いてみてください

 

本当に必要な物を手に入れる以外

 

人の評価なんて不確かな物の為に

精神をすり減らして

辛い思いをする必要なんてない

 

張り詰めている緊張の糸を

緩めてあげてください

 

糸が切れてしまう前に

 

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VARは恐ろしい

VARは恐ろしい

 

VARそう、(Video Assistant Referee)のことです。

 

今朝DAZNで欧州CL

パリSG対マンチェスターUを見ましたか。

 

後半ロスタイム

このまま行けばパリSGが勝ち抜けの場面

 

マンチェスターUの選手の放ったシュートがパリSGの選手に当ってゴールラインを割りました

このCKがマンチェスターUにとっては最後のチャンスかな?なんて思ってドキドキして見ていると

主審が何やら怪しい動き

 

そう

ここで登場

VAR

 

シュートがあったた場所が手なのではないかということです

結果

パリSGの選手のハンド

PK

 

このPKが決まると逆転でマンチェスターUの勝ち上がり

思わず声を上げてしまいました。

 

完全に勝敗が左右される判定

これはいかがなものかと思いつつも

映像という動かぬ証拠がある

 

証拠がある以上

見逃す訳にもいかない

 

最後は人間の判断

 

そう。

どんなに便利な時代になっても

 

最後の鍵は人間

 

ただ

 

VARは恐ろしい

偶然のハンドが確実にハンドになる

 

恐ろしい

 

そんな風に思いながら今日の仕事を始めるところ

 

私の背後にもVARがなくて本当に良かった。

 

監視されたら仕事どころじゃないからね

 

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DAZNが私にもたらしたもの

以前こちらの記事(DAZN for docomoに加入してみた)で書いたように

私はDAZNのサービスに加入しました

 

以来、、、

 

 

完全にサッカー漬け

 

週末はJリーグ

週末や平日の深夜は欧州リーグやカップ戦

サッカーだらけ

 

目に見える球体が全てサッカーボールに見える始末

 

はい言い過ぎです

さすがに球体なんでもサッカーボール扱いしていると

逆に私が危険人物扱いを受けることになります

 

 

ただ、とにかく

毎日のようにサッカーが見られる

 

楽しい。

 

ただ

平日は欧州サッカーがメインなので1つ問題があります

問題というか難敵

そう

それは

 

時差

 

日本国内で生活しながら欧州時間でサッカーを見る

 

するとどうなるか

 

寝る時間がない

 

時には眠たすぎてボールが20個くらいに見えたりすることがあります

 

はい嘘です

さすがにボールは1個にしか見えません

画面のサッカーボールが追えなくなるくらいのことはありますがさすがにその数が増えて見えることはありません。

 

とにかくまぁ

 

みんなサッカーみようぜ

 

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あなたの思考が影響をうけているもの

人間の思考はその人が持つ

知識、経験、記憶

これらの物を元に成り立っている

つまり思考の流れとはその人がこれまで生きてきた人生を土台としているわけだ。

 

そこには努力して培ってきたもの、学んできたものが大きく反映されている

ただ、人間という生物は他に類を見ないほど大きな脳を持っていて、非常に高度な情報解析やデータの蓄積ができる生物である

 

意識して取り入れた情報のみならず日頃何気なく目にしているもの

耳にしている音、嗅いでいる匂いなんていうものも思考には大きく影響しているのだ。

自分でも知らぬ間に環境の影響を受けているということになる。

 

日頃何気なく目にしている情報は自分がくだらないと思ったものでさえ

自分の思考に影響を及ぼしているのではないだろうか

脳に染みこむ情報は意識して調整しないと思考はあらぬ方向に流れるのではないだろうか

常々そんな風に考えている

 

 

 

話は今朝のこと

地下鉄で通勤中の私。

木曜日ともなると疲労が蓄積してきているので少しでも寝たい

日頃は読書をしながら時間を過ごすところだが、今日は目を閉じて休んでいた。

 

ふと目を開けるとそこに小学校低学年くらいの男の子が二人こちらに背を向けて立っている

向かい側には確か30歳前後の女の人が座っていたはず(知人にとてもよく似た人だったので覚えていた)

男の子二人は何やらその女性に一生懸命語りかけている

 

この状況を目にした私はとっさに

「いかん!女性が子供にからまれている!」

そう思ったのです

 

 

どこのスラム街であろうか

 

 

冷静に考えればお母さんに話しかける子供である

むしろ思考のファーストチョイスがからまれている

つまり子供の暴漢だった自分に寒気がする

 

いくら私の頭がおかしくても今回の件はおかしすぎる

 

自分でもどうしてそうなったのかわからない

 

自分の脳に違和感を覚えながら会社に到着

新聞に目を通していると若い男の子が大人の女性にナイフを突きつけて強盗

という記事が目に入った

「あぁ、今朝ニュースでもやっていたな。物騒な時代になったもんだくわばらくわばら」

 

 

 

 

あれ?

 

 

あれれ??

 

 

 

これだ

 

 

影響をうけとる!!!

 

恐らく私の脳にはこの事件が知らず知らずの内に染みこんでいて

これを元に地下鉄の件を判断したのである

 

 

 

ポンコツにもほどがある!!!

 

 

 

いや、そりゃそうですよ。

 

事件をおこした子供はたしか14歳くらい

まぁそれくらいの年齢ならありえますよ

 

でもね。

 

小学校入学したかしてないかの子供がですよ

女性とはいえ大人を取り囲んで因縁をつける

 

そんなことがあってたまるもんですか

 

脳みそにどんな種類のカビをはやしたらそうなりますか

どれだけ蜘蛛の巣がはるほど脳を休ませたらそうなりますか

 

 

そんなポンコツな脳だから

こうやってながながと文章を書いている内にオチを見失う

そんな事が当然起こりうるわけです

 

どなたか助けてください。

 

 

話の終わりが見えません

 

 

【完】

 

 

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感情は分泌物のバランスで作られる

感情や気分などというものは

体内のホルモンなどの分泌物の存在割合の結果でしかない

五感から得られた情報を脳が解析してそれをもとに様々な分泌物が現れる

 

つまり感情や気分などというものは自分で如何様にもすることができるということだ

外界から得られる情報を自分が快適な状態でいられるように解釈すればいいのだから

 

ただ、既にバランスを崩した状態では攻撃的になったりイライラしていたりするから外界からの刺激を上手く処理することは難しい

 

ではどうするか

 

日頃から自分の傾向をよく理解して

不快を生み出す状況に早めに対処することだ

 

自分自身の状態がよければ外界の刺激など都合良く解釈してしまえるということ

 

 

快はどこまでも快を産み

不快はどこまでも不快に引きずり込む

 

そこにはバランスなんてなくて

どちらかに偏ろうとすれば

どこまでも傾いていくものだと思う

 

 

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