感情は分泌物のバランスで作られる

感情や気分などというものは

体内のホルモンなどの分泌物の存在割合の結果でしかない

五感から得られた情報を脳が解析してそれをもとに様々な分泌物が現れる

 

つまり感情や気分などというものは自分で如何様にもすることができるということだ

外界から得られる情報を自分が快適な状態でいられるように解釈すればいいのだから

 

ただ、既にバランスを崩した状態では攻撃的になったりイライラしていたりするから外界からの刺激を上手く処理することは難しい

 

ではどうするか

 

日頃から自分の傾向をよく理解して

不快を生み出す状況に早めに対処することだ

 

自分自身の状態がよければ外界の刺激など都合良く解釈してしまえるということ

 

 

快はどこまでも快を産み

不快はどこまでも不快に引きずり込む

 

そこにはバランスなんてなくて

どちらかに偏ろうとすれば

どこまでも傾いていくものだと思う

 

 

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心の余白

人にはこうだと強く信じているものがある

ただそれは自分がそう信じているだけで

世間の大多数が同じように信じていても

かならず例外がある

 

例外があるのは当然だとして

その例外があることを認められない人がいる

 

自分の信じるものを押しつけてしまう人がいる

 

押しつけてしまう人のそれもその人のパーソナリティなのでそれを否定しても仕方がない

 

ただ、押しつけられると人は息苦しさを感じる

そもそも最初から接点を持たないようにすれることができればその押しつける力を逃がすこともできるが世の中そうもいかない場面が多々ある

 

ではそんな時どうしたらよいか

 

心に余白のような余裕を意識するといいのではないだろうか

 

相手の言っていることが正しくないと思ってもそれに反発せず

「この人は自分にとっての例外だ」と認識してその余白に置いておけるようにする

相手が押しつけてくる力に抗わない

押し返すと余計な争いが生まれてどんどん消費するから

 

余白の部分に置いておいて

その押しつける力がなくなるまでそっとしておく

 

相手の言っていることを受け入れる必要はない

例外だと認識して後は置いておく

 

自分が快適に暮らせるために

不要な争いをさける考え方というのは実はとても大切だ

 

いつも心に余裕を作り出すように意識しよう

 

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いきすぎた承認欲求の危険性

【承認欲求】
他人から認められたいとする感情の総称
 
人には他人に認められたいという欲求がある
 
人より優れている
人並みにがんばっている
人より劣っている(から社会的・道義的な責任を背負わせないでほしい)
 
そんな欲求がある
 
 
形はどうあれ根源にあるのは自分の存在を他人に認識してもらいたいという願いだと思う
 
SNSなんかを見ていると
「自分がこんな事をして楽しかったよ」や「こんな場所に行ってきたよ」という【経験】のアピールから
「自分自身の写真を加工したもの」のような【自分自身】の存在を直接アピールする形にシフトしてきている
 
人は自分の存在を誰かに知っていてもらいたいんだ
 
 
ただ、その存在を誰彼かまわずアピールするのはどうだろうか
 
野生動物はむやみやたらに自分の存在をアピールしたりはしない
時にはむしろ匂いや気配を隠す
 
なぜなら捕食者に見つかってしまっては命の危険に貧するからだ
 
 
そう考えてみると人間もむしろアピールしない時間の方が大切なのではないだろうか
 
 
野生というのは生命の維持に直結した行動を最優先する
見習うべきだろう
 
 
そう思った私は
 
 
今日の会議で息を潜め
存在感を消し
ひたすら時間が過ぎ去るのを待つのであった。
 
 
長々となんの話これ
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来世は門

 

「来世は門として生まれて来ることができるといいね」

私は心の中でそっと呟きながら彼の元を後にした

 

あほか!!!

 

あほかっ!!!!!

 

地下鉄なんかで降りるわけでもないのに開くドアの側の真ん中で突っ立ってる人!!

あれ何!!

何のつもり!!!

 

混んでいる流れでその位置に行ってしまうこともあるかもしれない

まぁそれはわからんでもない

しかし

しかしだよ

 

そもそもそこに流れないように最初から意識していようよ

百歩譲ってそれでも仕方なく邪魔になるところに行ってしまったら

道を譲ろうよ

一旦下車して降りる人を通そうよ

 

なんでぼーっと立ってるの!!

人の流れをせき止めるのが今世の君に課せられた使命か!!

 

あほか!!!

 

もうさ、ドアに生まれ変わってきたら良いと思うの!

 

 

君を避けるためにさ、「降ります」とか言わなきゃならないの

言われなくても気がつこうよ

 

しっかりしろーーー!!

寝るなーーーーー!!!

 

 

人の迷惑にならないようにお互い気をつかう

大切な事だと思うんだよね

 

 

 

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DAZN for docomoに加入してみた

DAZN for docomoとは

 

130以上のスポーツコンテンツが見られるDAZN

Jリーグや欧州サッカーを見るには欠かせないサービスです。

 

ではDAZN for docomoっていうのは何かと言いますと

通常月額1,750円(税抜)のDAZNが

月額980円(税抜)で見ることができるお得な契約なんです

 

加入条件は?

docomoの回線契約者で「FOMA」か「Xi」契約があればOK

(FOMAやXiって何?という方はdocomoのサイトにてご確認ください)

 

 

docomo回線は契約しているけれどFOMAやXiはわからないという場合はdアカウントの契約情報を確認するかドコモショップで確認してみてください。

 

for docomoって言うくらいだから別のキャリアのスマホなんかでは見られないんじゃない?

 

そんなことはありません。

docomo回線契約者に向けた割引がなされているだけでその他の内容は通常のDAZNと一緒!

違いと言えば支払い方法がdocomo回線の支払いと合算になるくらいでしょうか。

 

加入方法は?

「DAZN for docomo」等で検索して契約用サイトを訪れてください。

携帯回線が紐付いているdアカウントがあればなんなく申し込みすることができます

※携帯回線が紐付いていないdアカウントだと月額980円にはならないので注意

 

必要情報を登録して契約が完了したらすぐにDAZNのコンテンツが視聴できます。

 

 

通常1,750円のDAZNが980円で見ることができる

docomo契約者は使わずにはいられないでしょう。

 

沢山の日本人選手が海外リーグで活躍するようになってきたこのご時世

欧州サッカーを見るならDAZNは必須です。

チャンピオンズリーグも欧州リーグも決勝ラウンドが始まるし

欧州リーグは佳境に向かって行くし

Jリーグは始まるし

 

サッカーだけでもこれだけ見られて980円は安い!

 

サッカー好きなみなさんは是非

 

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成長のその先にあるもの

スマートフォン

液晶

半導体

 

成長分野が成熟期を迎えその成長が鈍化する

これまでの成長が著しかった分その鈍化はより鮮明になる。

 

一定の速度で成長し続けるものなどというのは存在しないからいつかは成熟を迎える

そして何かが成熟すると次の何かの成長が始まる

 

次はどんなものが成長するのか

どんな便利な世の中になっていくのか

 

人の成長に対する意欲は尽きない

 

楽しみだ

 

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心の休ませ方

気がつくと舌に歯の跡がくっきり浮かび上がるほど歯を食いしばっている

時々そんなことがあります。

 

歯を食いしばってがんばる

とはよく言いますがこれは時と場合による

そんな風に思います

 

気力体力が満ちあふれているような状態ならばどんどんがんばったらいい

 

しかし

 

気力も体力も限界なのにがんばってしまう

 

すっからかんなのにがんばってしまう。

 

ガス欠になると動けません

 

ガス欠になるまえに休んで給油しましょう

 

ガス欠になる前に意識して休む

無理矢理休む

ギリギリまで頑張らない

2/3いやなんなら1/2くらいまでエネルギーが減ったら休んでみましょう

 

休むことも練習が必要な人がいます

真面目で頑張り屋な人は特にそうです

 

上手く休めるようになるよう挑戦しましょう。

 

がんばりつづけなくていい

 

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スキーをしてたら地面に根をおろした話

 

私が生まれ育った小学校にはスキー学習というものがありました。

授業の一環としてスキー場でスキーを教えてくれるのです。

私は両親があまりアクティブではないので幼い頃からこのスキー学習くらいでしかスキーをしたことがありませんでした。

 

絶対的経験回数が少ないので当然他の子よりもヘタ。

 

しかし運動神経の優れていた私はスポーツ全般が得意で周りの認識もそうでした。

 

そう、周りは私がスキーがドヘタだとは夢にも思っていない。

いや、友達だけではありません。

教師ですらも恐らくそうだったでしょう。

 

授業の最初は基本的な転び方、スベリ方についてなのでどうにかごまかしが利きます。

妙なプライドから自分がスキーがヘタだとばれたくなかった私は内心ヒヤヒヤしながらも無事に一日を過ごしていました。

 

しかし

 

その時は突然訪れた。

 

スキー場には誰が作ったかわからないちょっとしたジャンプ台というものが必ず存在します

 

子供の好奇心はこういったものを見逃しません。

 

スキーの得意な子達が喜んでここに集まると教師も安全上その場に行くしかありません。

教師がいることでさらに生徒は集まります。

 

即席のジャンプ大会の誕生

 

何故かみんな順番に飛ぶことになる

 

先生も止めりゃいいのに何故か順番を仕切りだす。

 

「飛びたくない!!」

 

心の中で全力で叫ぶ私

しかし現実では

そんな事は言えない

妙なプライドができないなんて言わせない。

 

一人二人と近づく私の番

あっという間に訪れる私の恐怖のジャンプ

 

私は人並み以上に運動神経が優れている

やったことは無いけれど他の子ができるジャンプなんてやってみたらできるに違いない

 

意を決して飛ぶ

 

スキーのジャンプってテレビなんかで見たことありますかね?

あれね、スキーの先端が下に向かないように姿勢を保持しなくてはならないのね。

あの100mとか飛ぶ人と一緒にする訳じゃないけれど基本的には小さいジャンプも同じ

そうしないとバランスが崩れて着地できないから。

 

そんな事なんて全く知らない私

 

勢いだけで飛び出す

 

結果

 

 

完全に前のめり

 

 

前のめり過ぎて前方に一回転。

 

いや、実際は半回転

 

 

「あっ、怪我だ、これは大きめの怪我をするかもしれない」

スローモーションの世界で覚悟を決めた私はそっと目を閉じた。

 

 

次の瞬間

 

目を開けた私の視界に広がったのは大空

「あれ?大けが通り越しちゃった??」

 

焦る私

 

急いで状況を確認しようととりあえずアクションを起こす

 

体が動かない

 

力は入るのに身動きが取れない

 

なにこれ

 

そっと視線を足元に送ると

そこには

 

 

私の足を中心に後半分がすっかり地面に刺さったスキー

 

そうスキーの踵側がすっかり地面に刺さっていたのです

 

人間は膝より下が埋まると動けなくなる

これはきっと1つの関節の可動を失うことで今までの筋肉や体の動かし方では対応しきれなくなるからでしょう

 

スキーが半分埋まった私は言わば関節を1つ失った訳です。

 

動けない。

 

全く

 

周りで見ていた友達や教師は

また目立ちたがり屋な私が運動神経にものを言わせて大技を繰り出しおったww

しかも失敗しているwww

滑稽www

くらいにしか思っていなかったのでしょう

事の重大性がイマイチ伝わっていなかったので

誰も助けてくれない

 

 

動けない

 

刺さっているを通り越して地球からはえている私は動けない

そりゃそうです

地面に根を下ろしていますから

 

そこらへんの植物が自分で根っこを引っこ抜いて歩き出したら気持ち悪いでしょう?

地球のルールに反するでしょう?

 

私も地球からはえている以上動けない

 

なので今でもこうして刺さったままブログを更新している訳ですが

 

嘘です

スキーを外して見事に脱出しましたから。

 

 

教師は笑いながら

「おしかったけどこういう危ない技は前もって申告してなww」

なんて言ってました

 

平静を装いながら口から飛び出しそうな心臓を体内に押し込むのに必死だった私は「二度とスキーなんてしないからな」

そう心に誓うのでした

 

以上地面からはえながらお送りしました

 

 

 

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認知とストレス 枠組みを変える

 

ストレスを感じる原因

自分のそうだと信じるものと現実が合致しないから

例えば人に期待をする

こうあるべきだと思う

自分は当然そうあるべきだ、そうあって欲しいと思うことと現実が食い違う

本当はこうなのにとそれがストレスになる

 

自分の認知の世界の枠組みから逸脱したものがあるとそれを人はストレスと感じる

 

 

人の脳は一日で膨大な量の情報を処理しなくてはならない

自分が意識して考えている顕在意識の世界から

無意識の潜在意識の世界まで人は一日の内に膨大な量の情報を処理しなくてはならない

五感から得られる情報から思考として意識にあがってくるもの全て

この膨大な情報の内、生きることに直結しない意識の中での思考までを1つ1つ考え込んでいたらどうなるだろう

物事は全く進まない

生きることがままならなくなってしまう

だから人は自分の中に認知の枠組みを作り出し、ある程度意識しなくても物事を処理できるようにした。

 

認知の枠組みから逸脱すると

この自動処理システムのようなものは非常に便利だが、その枠組みから外れるものが存在するとストレスを感じるようになる。

自分が生きるために作ったシステムだからその外側にあるものがあるということは自分の生活を脅かす可能性があるから。

こうやって人は1つ1つの事を考え込んだり判断しなくていいようになっている。

 

ここで1つ問題がある。

認知の枠組みが世の中の大半の人と大きくずれているとどうなるか

自分はそれを問題だと思っていても他人はそれを問題だと思っていない。

 

悪意をもって自分を攻撃しているわけではなくても自分の生活を脅かされてしまうことになる。

 

これは非常に厄介で、自分はそれを嫌だと思っているのに相手はそれに全く共感できない。

共感できないから意識せずにその行動を取ってしまう。

 

自分の認知が人とずれていればずれているほどストレスを感じる事が多くなってしまう。

 

 

自分の枠組みを見直してみる

よく言われることだが、人は人を変えることはできない。

変えることができるのは自分だけだ。

 

自分が生きることに苦しさを感じるのなら自分の思考の枠組みを変える、変えることはできなくても見直してみるといいだろう。

 

自分がそうだと信じて疑わないこと

世の中の常識だと思い込んでいるもの

思い込んでいるということすら疑うことができないほど自分の中で当たり前になってしまっているもの

そういったものを見直してみる

 

幼い頃から周りの大人やテレビなどのメディアから得た情報で作られている自分の認識

自分にとってそれが世界の全てだが、それは本当に世界の全てだろうか。

 

自分がこれまで見てきたものはこの広い世界のほんの一部でしかない。

そのほんの一部でもっともらしいと思ったことが世界中のどこでも通用するだろうか。

それらが本当に物事の真理かどうかは置いておいて全く違う認知の世界が存在する可能性はないだろうか?

 

自分の当たり前を疑ってみる

 

意外と視界がひらけることもあると思う。

 

 

自分の価値観を否定して欲しいわけではない。

自分のことを間違っていたと否定してほしいわけではない。

むしろ自分には優しくしてほしい。

自分の事を守る為にこれらの考え方をお守りのように持ってみてはどうだろうか

 

人生の時間は非常に短い

思い込みにとらわれて来るしむ時間なんかより

自分の都合の良い解釈で笑顔で過ごせるくらいがちょうど良い

 

そんな風に思う

 

そんなとこ

 

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強迫性障害の確認行為を減らす

強迫性障害の確認行為

 

無意味な確認行為がやめられない

 

強迫性障害の症状です。

無意味だとわかっていても

何度確認しても

すぐにまた不安になる

不安を打ち消すために確認する

安心はすぐさま不安に変わり堂々巡り

次第に疲れ果てていくもののそれでもやめられない

ものすごく大きなストレスと不安

これが続くと心のバランスだけではなく体のバランスも崩れて体調に異常が起こります

 

何故確認行為をやめられないのか

 

・自分の中に確認のルールや手順のようなものが存在してそれらを完璧にこなさなくてはならない

・ルールが煩雑になりすぎてどこかの肯定が失敗しているのではないかと不安の種が増える

・不安なまま過ごすことができないから1つ1つ全てを解決しなくてはならないと考える

 

私にはこのような思考があります。

 

完璧にこなしたつもりでも手順が多すぎたり複雑過ぎたり

1つ1つに新たな不安の元を考えてしまったり

 

永遠に不安から解消されません。

この確認の連鎖が私にはとても辛いものでした。

 

確認の回数が減った日

 

ある日私はこう思いました

「毎回毎回この確認行為を繰り返している。なんとなく自分のルールをクリアしたと思えるタイミングでやめているけれどこれから先の人生で何十年もこれを繰り返していけるのか?」

無理です

毎回毎回疲れ果てるほどのストレス

一生続けていくことなどできるはずがない

そう思いました。

 

ではどうするか。

自分の中で確認の対象となっているものを諦めるしかない。

完璧な安心を諦める

 

目の前の1回だけなら納得いくまで確認できるかもしれません

けれど一生この繰り返しは到底無理。

 

無理なんだから諦めるしかない

 

「諦めてしまえば確認する必要なんてない。」

そう思うようになったのです。

 

そこから少しずつですが確認行為に追われる回数が減ってきました。

 

 

確認行為をやめるためには連鎖を断ち切る必要がある

 

諦めるといってもそれは容易なことではありません。

自分にとって大切だから何度も何度も確認してしまうのですから

それでもこの連鎖を断ち切らなくては自分の人生の大切な時間を強迫性障害に奪われてしまう。

 

人生にとって一番大切なのは楽しい時間を過ごすこと

それ以上に大切なものなんてないと思うと確認行為に費やしてる時間やこだわりが少しだけ手放せるようになります

 

心の持ちようや考え方は人それぞれ

何が正しいということはありません。

 

ただ、大切な人生の時間を苦しんで過ごす必要なんてありません。

 

自分の人生が終わるときに

本当に楽しい人生だった

そう思える時間を過ごすことを心がけて日々を過ごしましょう

 

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