人生の振り幅

 

私はいつものペースを崩すことが大嫌い

だから思い切って遠出をする時以外、あまりリズムを崩すような事はしない

 

毎朝同じ時間に起きて

会社に行き

だいたい同じ時間にまっすぐ家に帰って

同じ時間に寝る。

 

土日のお休みも

だいたい同じように趣味の時間を持ち

日曜日の夜にはお休みが終わってしまうと嘆き散らし

また月曜日を迎える。

 

人生という限られた時間を

イレギュラーが起こらないよう極力無難に過ごしていると言えよう。

 

そうすると、確かに予想外の悲劇というものはあまり起こらないが

当然振り幅が小さいので予想外の幸福もやってこない。

まぁ安定して幸せなので問題ない。

 

つまり非常に無難な人生。

普通

普通に変わったおじさんとして過ごしている。

 

誰が変わったおじさんか!

 

これを正解として人生を過ごせばこれはもうおおよそ大成功といえる。

ただ、沢山の事を知ることが人生の面白みだと言えば

私は今の所正しい生き方はしていない。

 

何が正解というのは自分が決めればいいので大した問題ではないが

 

そもそも唯一の正解みたいなものがあると思い込みすぎているんじゃないか

唯一の正解があるものなんて実はごく少数で多くの物に答えはない。

 

柔軟に楽しく過ごせば良いんじゃないかな。

 

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何かを成し遂げたいと思ったら

 

自分に何かやりがい事がある

そしてそれを既に実行に移している人がいる

相談するとしたら

 

「こういうことをしたいのだけれどどうしたらいいですか?」

それとも

「こういうことを始めたのですがどう思いますか?」

 

前者だと恐らく大成することはできない。

それどころか始めることすらできない。

 

本当にやりたいなら後者のようにまずは始めるだろう。

 

始める前に誰かに相談するということは

その人の助力を心の中で期待してしまっていたり

最初から成功している人と同じ規模の成功を目指している。

 

だからきっと始められない。

 

最初からうまく行っている状態を想定しているなら

そこにたどり着けない理由は驚くほど沢山見つかるだろう。

 

本当に何かを成し遂げるなら

それらを一つ一つ分解してクリアしていくしかない。

その結果として相談している相手のような形があるということを理解できなければ恐らく何も達成できないだろう。

 

最終目標を分解して考える。

 

これができるようになるといろいろな事に挑戦することのハードルがぐっとさがるのではないだろうか。

 

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逃げていることに気がつけなくてはならない

 

考えているつもりでも

実は考えるのが疲れるから無理矢理結論づけていることは沢山ある。

 

それは考え尽くしたつもりになっているだけで

実は逃げている。

思考停止。

 

何かを成し遂げようと思ったら

考え尽くすなんていうことは恐らくない。

 

どんどん煮詰めていけるはず

煮詰まったら薄めて味付けして

更に煮詰めることができるはず

 

こうして長年煮込んできたものが

秘伝のタレみたいになって

何かを成し遂げている。

 

そんなことじゃないだろうか

 

昨日ふとそんな事を思った。

 

疲れること

消耗することから逃げてはいけない。

逃げていることに気がつけなくてはならない。

 

本当に自分がやりたいことがあるのなら。

楽して簡単になんていう都合の良い方法はない。

 

がんばって秘伝のタレを作りだそう。

 

いや、別に究極のラーメンや料理が作りたいわけではない。

 

なりたい自分になろうという話

 

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