北海道胆振東部地震にあって思ったこと

 

深夜3時過ぎ

眠っていた私の体が突然大きく揺れた。

 

あまりの揺れの大きさにすぐに意識ははっきりとし、それが地震だということが瞬時に理解できた。

 

少し長めの大きな揺れ

納まってすぐテレビをつけた。

地震の後しばらくは電気がきていたがすぐにそれも途絶えた。

 

暗闇の中に繰り返される余震

 

徐々に大変な事が起こっているという実感が鮮明に意識に浮かび上がった。

一向に灯らない明かり。

 

不安の中朝陽がを待ちわびた。

 

我が家は水道、ガスは通っていたがそれも途絶えている地域があると知った。

食料を確保しなくては。

数件のコンビニを回ると電気がない中でも賢明にお店を開け、商品を売ってくれるお店がある。

 

既に長蛇の列ができていた。

 

私の前に並んでいた学生はお金をおろすことも出来ず、途方に暮れていたそうだ。

何とか食料を確保して家にもどる。

 

電気が途絶えた北海道は完全に機能が麻痺していた。

信号が止まり混乱する交通。

通信も途絶え、一時は携帯の電波も届かなくなった。

完全に孤立している。

現実を想像すると時々不安に襲われる。

 

しかし、そんな中でも沢山の人が賢明に働いている。

数時間の後、携帯の電波は復活した。

 

各ライフラインの関係機関の方々の努力が非常にありがたい。

 

それでも復旧しない電力

昨夜は明かりのない一夜を過ごし、今朝は冷水のシャワーを浴びた。

 

しかし、食べるものがあり、水がある。

寒さに震えることもうだるような暑さもない。

そして健康な体がある。

 

ありがたい。

 

 

そんな風に過ごしていると今朝7時30頃電気が戻った。

 

私はとても恵まれている。

そんな風に思った。

 

 

先日3.11についてのお話を聞き、困った人にさしのべられる手はどんどんさしのべよう。

そんな風に思っていた最中

本当にそんな事態がやってきてしまった。

 

お金、食料、電力。

分け与えられる物はなんでも分け与えよう

体力的に困っている人がいれば力を貸そう。

 

あらゆるものがなくなると人間の行動はシンプルになる

生きることに集中する。

余計な欲はなくなる。

みんなで共に生きようという純粋な思いが濃度を増す。

 

共にがんばろう。

そんな事を思っている。

 

 

情報を得ようとテレビをつけると

震源に近い地域の被災された方の姿が映し出される。

 

大きな災害が起こるといつも思うことがある。

 

何故「こんな可愛そうな思いをしている人がいます」を最も強調するのだろう

 

最も伝えなければならないのは心配する人に伝えるための被害の状況

今でき得る対応

必要な助け

そして、同じ思いをまた別の地域の人が繰り返さないように行う備え

 

こういったことではないのだろうか。

 

メディアの人も仕事であるから視聴者にうける感情に訴えた映像の作り方もしかたないのはわかる。

 

けれど経済活動の本質は人の為を思うこと

ならばやり方はもう少しあるのではないだろうか。

 

 

 

なんにせよ

今もまだライフラインが途絶えているみなさん

困っていることがあるみなさん。

私にできることはたかが知れているけれど、なんでも協力しようと思います。

みなさんも助け合いましょう。

少しでも余裕がある方は周りのご老人など困っている人に気持ちを向けてあげてください。

 

共にがんばりましょう。