対人恐怖症と強迫性障害

タイ人恐怖症

いえ、強烈なタイキックをお見舞いされた訳ではありません。

対人の方です。

 

もちろんタイの方も人間なので対人に含まれるのですが

 

ややこしい

 

対人恐怖症とは若干異なるのかもしれませんが、人と会話すると居心地の悪さとともに大量の汗がでます。

 

なにこれ。

 

ざっくり調べてみましたがセロトニン調節の失調の影響の可能性があるとのこと。

これ、強迫性障害もそうです。

 

つまり私はセロトニン調節がばかになっているのではないだろうか。

 

会話は全く問題なくできるのですが、とにかく汗がでてはずかしい。

 

しかもそのことを意識するともっと汗が出る。

 

悪循環

 

解決策を探しましょう

 

嫌な気持ちなんていうのは所詮脳の伝達物質の影響でしかない

タイトルが全て。

 

嫌な気持ちなんていうのは脳の伝達物質の作用でしかない。

だったらその伝達物質を止めればいい

もしくはその作用を無視すればいい。

 

目の前に起こっていることに意味なんてない。

 

その事に意味を持たせるのは自分の脳。

そしてそこから自分の世界観に照らし合わせて伝達物質が発せられる。

 

たったこれだけのこと。

 

つまり現実に関係なく自分の姿勢は如何様にも変えられる。

 

 

また一歩仙人に近づいたな

そう思う私なのでした。

 

おにっちは仙人を目指しています

怒るということ

人が人に怒る時

そこには期待がある。

 

こうして欲しい

こうなって欲しい。

変わって欲しい。

 

そんな期待が叶わない時に人は怒る。

 

しかしこの「怒る」という行為

これが効果を発揮するのは

 

・怒る側と怒られる側にしっかりとした信頼関係がある

・怒る側が怒られる側に根拠をもって意思を伝えることができる

 

という事が必要となる。

 

相手が納得いかないような話を感情と共にぶつけても自分の望む結果は得られない。

そもそも怒る必要ってある?

 

怒るという行為自体が悪いとは思わない。

感情をぶつけ合うことでお互いの関係が深まることもあるから。

機械のように感情を伴わない言葉だけを生み出す人を魅力的だとも思わないから。

 

けれど、相手に行動の変化を提案するということに関しては

「怒る」ということは全く効果を発揮しないのではないか。

 

それは怒ることで相手に自分の意思を押しつけているのではないだろうか。

要するに単なる甘えではないだろうか。

 

 

私は人と接するときに極力感情をぶつけないようにしている。

ただ、自分が甘えてしまっている人には怒ってしまう事がある。

甘えている。

よりよい関係を築きたいとう気持ちが強いとき、思考より感情が先走ってしまう時もある。

 

感情というものはとても面白い。